コーラの歴史 2 「コカ・コーラ誕生」


世に残る発明というのはたくさんある。 それらの殆どは発明後も多くの人によって改良や変更が重ねられ, 淘汰にさらされながらより洗練されたものへとなってゆく。 しかし希にいきなり完成されたもの、 つまり以後の他者によるいかなる模倣も改良も追従できない程のものが世に現れる事がある。 今回はそんな数少ない例の一つ、世界初のコーラであるコカ・コーラのお話。

今回の主人公は薬剤師Dr.Penberton。 現在ではコカ・コーラの発明家として有名だが、彼の人生はかなり不幸であった。 1831年にジョージア州で生まれ、 17歳でジョージア南部漢方医科大学に入学した彼は、 すでに究極の薬を作るという夢を持っていた。 しかし、1853年に結婚して男児一人をもうけ, 薬局の商売が軌道に乗り出した頃に南北戦争が勃発してしまう。 愛国心の強い彼は南軍に一等兵として参戦し、 兵役免除年齢になっても義勇軍を組織した。 しかし年寄りの冷や水(当時の平均寿命42歳)、 65年の戦闘で弾丸にあたり、サーベルで切られて、 その傷がもとでリューマチまで煩ってしまう。

戦後,彼はアトランタで薬局を開くが、72年に破産。 建て直しを図るが、74年と78年に火災に遭い、在庫の殆どを焼いてしまう。 うぷぷぷぷ。ここまで来たらかわいそうを通り越して笑ってしまう。 皆さんも多少嫌な事があっても「ペンバートンよりはマシか」と考えて立ち直っていただきたい。

茶化しはこれくらいにして話を進めよう。 「何がなんでも完璧な薬を作る」と燃えていた不屈の男ペンバートンは, 79年に借金を払い終えると新薬の開発に取り組んだ。 これはそこそこヒットするが、彼の求めるものではない。 悩むペンバートンの目に止まったものは,当時話題になっていた「奇跡の植物」コカであった。

その頃既にコカを使った飲み物が存在した。 アンジェロ・マリアーニが薬用酒「ビン・マリアーニ」を発明、 ヨーロッパで大ブームになっていたのだ。 これはワインにコカの成分を溶かし込んだもので、 エジソンやローマ法王までもが愛飲したという伝説の飲料である。 ペンバートンはすぐさまこれを真似たものの制作にかかり、 その結果生まれたのがコカ・コーラの祖「フレンチ・ワイン・アンド・コカ」であった。 コラの実抽出物、つまりカフェインが入った事もあり、 この模造品は本家「ビン・マリアーニ」より優れた物であったという。 これが1週間で1000本近くも売れる大ヒット商品に。 まあ麻薬を売ってる訳だから反則っぽいんだけど・・・。 (注 当時コカインは麻薬とは考えられていなかった)

これで一生遊んで暮らせると思ったとたん、彼をまた不幸が襲うのである。 それが19世紀終盤に起こった禁酒運動である。 人々がアルコールの害について騒ぎ出し、禁酒令を出す州が現れはじめると、 彼のフレンチ・ワイン・アンド・コカも当然攻撃の対象になる。 コカインが容認されてアルコールが禁止という、なんとも面白い事態になった訳だが、 ペンバートンはまた新たな薬の開発をしなくてはならなくなった。

しかしペンバートンは負けなかった。 リューマチの悪化と戦い、 モルヒネ中毒になりながらも自宅の裏庭で「禁酒用飲料」の研究を続けたのだ。 そして1886年、水と炭酸水を間違えるという偶然の助けを借りて非常に美味しい禁酒用飲料、 後にコカ・コーラと言われるものを完成させるのである。 しかし水と炭酸水って間違うか、普通? もし読者の方の中に味噌汁を作る時に間違えて炭酸水をいれた事のある方がいれば、 ご一報頂きたい。 (注 間違うやろ! 炭酸飲料と一緒に売ってたんやから)

ペンバートンはこのコカ・コーラをJacob's Pharmacyで1杯5セントで売り出し、 フレンチ・ワイン・アンド・コカ程ではないしろ大ヒットする。 1887年に特許も下りて順風満帆に思えたこの事業だが、 同年彼はコカ・コーラの権利を売却してしまう。 これに関しては「モルヒネを買う金を工面するため」や 「息子のチャーリーが酒に酔って売ってしまった」など様々な説があるが、 真相はよく分っていない。 その後も2重売却や文書偽造事件などごたごたが続き、 結局企業家E.G.キャンドラーがこの事業を引き継ぐ事になる。 この辺に関しては徳間書店の 「コカ・コーラ帝国の興亡(原題 For God, Country, and Coca Cola)」に詳しく書かれているので、 興味のある方はどうぞ。 私なんか頭が痛くなるけどね。

味に優れたコカ・コーラは、キャンドラーの手腕もあって一躍有名になる。 この頃から人々の間でコークに対する認識が薬から嗜好飲料へと変化していき、 女性の消費者も現れはじめた。 こうなればもう薬局で売る必然性もなくなり、 キャンドラーはコカ・コーラの瓶詰め販売に着手する。 このとき生まれたのが現在でも使用されている6オンス(190ml)瓶である。 あの独特のデザインは当時すでに大量に存在した模造品の対策としても非常に有効 (瓶の型を意匠登録したため)で, コカ・コーラをアメリカ中どこへでも流通させることをも可能にした。

コカ・コーラがアメリカ全土に広がるにつれ、 誰でも簡単にコカインの含まれた物が入手できることに不安を抱く人が急増する。 これに対するキャンドラーの対応は驚くほど速かった。 コークのアイデンティティーであったコカインを除去したのだ。 これによってコカ・コーラは健全で美味しいアメリカの国民飲料の資格を得、 黄金時代を築いていくのである。

一人の天才の熱意から生まれた黒い液体は、 その後1世紀以上も愛され続けるほどの完成したものであった。 それは偶然なのか、それともPenbertonの直感であったのかは今となっては知る由も無いが、 世界初のコーラであるコカ・コーラは今なお王の座に君臨し続けているのである。


参考文献

コカ・コーラ帝国の興亡 / 100年の商魂と生き残り戦略
マーク・ペンダグラスト 著、古賀林 幸 訳
徳間書店
ISBN4-19-355169-5
原著: FOR GOD, COUNTRY AND COCA-COLA by Mark Pendergrast
コカ・コーラの歴史を詳しく(そして多分かなり公平に)描いた良書。 本連載はこの本の丸写しになるかもしれない。


[4月号表紙]
コーラ月報4月号

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