コーラの歴史 第4回
「第三のコーラ・RC」
中本 晋輔

2人の「巨人」の影でひっそりと, しかし確実に歴史を築きつつある名品もある。 今回の「コーラの歴史」では,第三のコーラ,RCの歴史について取り上げる。
ーラの歴史というのは 王者コカ・コーラと挑戦者ペプシの一騎打ちの歴史である様に思われがちだが、 そうではない。 コカ・コーラの発明以来数知れないほどのコーラが世に送り出され、 ある物は競争を生き抜き、ある物は歴史の闇に消えていったのである。 無論この流れは現在も続いている。値段を下げたりカフェインを増やしたり、 様々な知恵でコーラたちはシェアの獲得を目指す。 その中にあってあまりにも大きい2人の巨人に正面から戦いを挑むコーラもある。 ロイヤル・クラウン・コーラ。 今回は世界第三位のシェアを持つこのコーラの物語である。

舞台は20世紀初頭のアメリカ・ジョージア州。 この頃ジョージア州は南北戦争の痛手から完全に立ち直り、 州都アトランタは「不死鳥の町」と呼ばれるまでになっていた。 人々の生活にゆとりが生まれ、 嗜好飲料のコカ・コーラがわずか10年で爆発的に広まっていった、そんな時代である。

コカ・コーラ生誕の地・アトランタから南へ100マイル、 アラバマとの州境の町Columbusに、一人の若き薬剤師が住んでいた。 彼の名はClaud A.hatcher、RCコーラの生みの親である。 彼は薬剤師の免許を持っていながら、何故か清涼飲料の卸し売りを始める。 全くのどかな時代である。

しかし突然、彼はボトラーからコミッションの支払いを拒否される。 何をしでかしたんだ、クラウド? いきなり職を失った彼は、仕方なく自分で炭酸飲料を作る決心をする。 当時は薬と嗜好飲料の間に明確な違いがなく、 多くの炭酸飲料が薬剤師によって生み出されていたのだ。 これで世界の3大コーラはすべて薬剤師によって発明された事になるが、 命を削ってペンバートン博士が調合したコカ・コーラ、 カレブ・ブラッドハム博士が胃腸薬を作っているときに偶然生まれたペプシコーラに比べると いまいち盛り上がりに欠けるぞ。

しかしクラウドには運と商才があった。 1905年に彼はジンジャーエールを作り、 それを売り出したところ非常に受けが良かったのだ。 そのジンジャエールの名前こそRoyal Crownなのである。 この名の由来は残念ながらわからないが、 当時流行しはじめたボトルの王冠から来ていると言う説もある。

の成功に気をよくした彼はすぐにコーラの製造を始め、 「Chero-Cola」の名で売り出すとこれがまた大当たり。 彼はその資金で1912年に飲料会社Chero-Cola co.,を設立、 彼自身が初代社長の座に就く。 このChero-Colaがどれほどヒットしたかは不明だが、 コカ・コーラ社の当時の資料の中に「コークの類似品」の一つとして名前が挙がっているので 結構知名度は高かったようだ。 もっとも、コカ・コーラにすれば「偽物コーラ」の一つに過ぎなかったようだが。

Chero-Cola co.,はそれからも順調に業績を伸ばし、 1925年にはアメリカ南部14州で315ものボトラーと236の工場を所有するに至る。 また新製品「Nehi」もヒットし、社名をNehi Corporation に変更する。 まさに順風満帆。しかし新製品出る度に社名変えるか、普通? コカ・コーラがいきなり「爽健美茶株式会社」に名前を変えたらみんなパニックに陥るだろう。 ・・・・あんまりメジャーじゃなかったんじゃないか、RC? そして1933年には新しいコーラを計画し、 その名を一番初めのジンジャエールに倣って「Royal Crown COLA」とした。 これがRCコーラの誕生である。

しかしこの流れも第二時世界大戦によって一時中断されてしまう。 戦争の激化にともない砂糖の価格が上昇、 しまいには政府の管理下に置かれてしまうのだ。 ここでアメリカ政府は軍事物資にコカ・コーラを選ぶ。 アイゼンハワー将軍が本国へ向けて打った電報「弾薬とコークを送れ」に象徴されるように、 ライバルであるコカ・コーラは政府の後押しを受けて急激に成長していく。 その間RCは、細々と商売をつづけ戦争が終わるのをじっと待たざるを得なかった。

二次大戦、朝鮮戦争が落ち着いた1955年、 RCコーラは本格的な攻勢を開始する。 まず「Best by Test Taste」をスローガンにキャンペーンを展開、 彼らが「unquestioned winner(疑う余地のない勝者)」である事を 消費者テストのデータを元に宣言したのだ。 当時一番売れていたコーラは、当然コカ・コーラであったが。 また1959年にはお得意の社名変更を決行、Royal Crown Cola Co.とした。

その2年後、RC社は世界初の「おいしい」ダイエット飲料、 Diet Rite Cola を開発する。 このrとlの区別のつかない日本人泣かせのコーラは 当時健康ブームであったアメリカで大ヒットし、 一年半で消費量全米第4位にランクインする。 RC Colaはいきなり先を越されてしまったわけで、先輩の面子丸つぶれである。 その後各社競ってダイエット飲料を開発する事になる。 ちなみにこの Diet Rite Colaは 現在でも製造されている。 私も飲んだ事はあるが、お世辞にも旨いとは言えない(詳しくはコーラ白書を見てね)。 それまでのダイエット飲料は想像を絶するくらい不味かったのだろう。

そして1980年、今度は世界初のカフェインフリーのコーラの開発に成功する。 これも健康志向のアメリカ人に広く受け入れられ、 RC社は「コーラ業界のパイオニア」として名を上げる事になる。 また1983年にはDiet Rite Cola を改良、カフェイン、ナトリウム、 砂糖を全部抜いたニューバージョンを発表する。 またコーク、 ペプシの両巨人に直接ダメージを与えるべく両社をanti-trust violation (反トラスト法違反? 日本の独占禁止法違反みたいなもの)で訴え、 勝利を収める。ただ打撃としてはいまいちだったようで、 結局RCは第三位のシェアに甘んじ、そしてその構図は現在も続いている。

RCのチャレンジ精神は今でも健在である。 1995年、 彼らは世界初のドラフトスタイルコーラ「RC Premium draft cola」を世間に送り出す。 これは素材にこだわりコーラの実とサトウキビから作った「もっとも飲みやすく、 味わい深い」コーラであったが、これは失敗。 現在では製造中止になり、 一部のコレクターの間で「マイアミのtargetで売ってた」とか 「アラスカではまだ売ってるらしい」とか怪情報が飛びかう たまごっちみたいな存在になってしまっている。 実は私もこの夏アラスカに捜しにいってみようかと思っているのだが。

このように常に新しいものに挑戦し続けるRoyal Crown Cola。 彼らは次々に新たなジャンルを開拓し、コーラの可能性を広げていく。 彼らの挑戦が続くかぎり、 コーラがペプシとコカ・コーラの独占商品になることはないだろう。 この偉大なるパイオニアの動向を期待を持って見ていたいものだ。


参考文献

コカ・コーラ帝国の興亡 / 100年の商魂と生き残り戦略
マーク・ペンダグラスト 著、古賀林 幸 訳
徳間書店
ISBN4-19-355169-5
原著: FOR GOD, COUNTRY AND COCA-COLA by Mark Pendergrast
コカ・コーラの歴史を詳しく(そして多分かなり公平に)描いた良書。 紀伊国屋に問い合わせたところ,現在は品切れとのこと。

The unofficial RC cola homepage (http://www-personal.engin.umich.edu:80/ ̄amarsan/RC/rc.html)
RCの歴史について解説されている貴重なページのひとつ。 正しい飲み方(?)についても書いてあるぞ。

RC Cola story (http://www.comnet.ca/ ̄geraldlavergne/)
ここもRCの歴史についての記述がある。 BGMが毎回変わる?


[6月号表紙]
コーラ月報6月号

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