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コーラ津々浦々 / 北米周遊・アトランタへの旅編(後編)
中本 晋輔 & 中橋 一朗

午前5時15分。稚内よりさらに北に位置するバンクーバーの夜は、サマータイムもあってまだまだ明けそうにない。私と中橋を乗せた車はフリーウェイを空港へと走っていた。運転席のMarkもなんだか眠そうだ。我々はついにコーラ発祥の地、アトランタへ向けて出発するのである。

アトランタへNWで向かうにはミネアポリスを経由せねばならず、乗り換えの都合上バンクーバーからでは6:45か10時台の2便に限られる。敢えて早朝の便を選んだのは、アトランタへ日が暮れる前に到着したかったからだった。この便でさえかの地へ到着するのは午後4時をまわる。もっとも時差があるので実際に乗っているのは6時間程度なのだが、時差3時間つまり地球の1/8を飛ぶわけで、やはりアトランタは遠い。

空港でMarkと別れ、カウンターでボーディングパスを受け取ると入国審査へ向かう。カナダからアメリカへ行くときは何故かカナダでアメリカの入国手続きを行わなければならないからだ。このイミグレーションがやたら無愛想なのはカナダ人なら誰でも知っている話であるが、私が当たった黒人の管理官は退屈だったのかやたら話しかけてきた。中でも教育システムに興味があるらしく、「学校はいつ始まる」とか「アメリカの夏休みは長すぎる」などまくしたてられてちょっと困ってしまった。

日和ってSTARBUCKSでコーヒーを頼む。私のラテはすんなり出てきたのだが、中橋のアイスラテを作っていた若い店員がちょっと首をかしげた。どうやら作った量が少なすぎたらしい。と、彼はおもむろに蛇口をひねると水道水を直接コーヒーに入れ始めるではないか。目の前のその光景に思わず顔を見合す我々。しかし日常的な事なのだろうか、店員も他の客もさして気にしてはいない。さらに驚いたことは、そのコーヒーが旨かったことである。まさに流石スターバックス、なのであった。

アトランタまでの飛行は快適だった。特にバンクーバー−ミネアポリスで出されたターキーハムのベーグルサンドは、私が食べた機内食ではアラスカ航空のチーズバーガー次ぐ旨さだった。余談だがミネアポリスMinneapolisは第三音節つまり“ア”にアクセントがあって、しらないと全然通じなかったりするので注意が必要だ。

定刻よりすこし早くアトランタ空港に到着する。ここはデルタ航空のハブ空港らしく、ターミナルにはフカのヒレのような黒い尾翼のジェット機が整然と並んでいた。赤と灰色の、どこか金魚に似た我らがノースウェスト734便はここではなんだか肩身が狭いらしく、滑走路の脇で10分ほど待たされた後ようやくターミナルへ入ることができた。

荷物を受け取り、とりあえず外に出る。日はやや傾いていたが暖かく、じいちゃんから借りたウィンドブレーカーはもう必要なさそうだった。これから3日間の滞在先Holiday Inn Express North Street へは日本から直接予約の電話を入れてあり、バスかタクシーでくれば良いといわれていた。ホテル専用のバス乗り場で待つことしばし、Holiday Innのミニバスがやってきたので早速乗りこむ。ところがどうも様子がおかしい。バスは空港の近くのHoliday Innに立ち寄ると、そのまま空港へ帰ってしまったのである。後で気づいたことだが、アトランタ市内だけでも5-6件のHoliday Innがあるらしいのだ。運転手兼ポーターのおにーちゃんに尋ねたところ、North Street まではタクシーで行くしかないと言う。

タクシー乗り場で我々を待っていたのは、汚いジーパンに黒いトレーナーを着た無愛想な黒人ドライバーだった。こ、怖い。こわごわ乗りこみホテルの場所の書いた紙を見せるとそのおっさんは無言でタクシーを発車させた。途中メーターを倒さずに走っているのに気づきダウンタウンまでどれくらいの値段かきいてみるが、無視される。私は一度上海でメーターを倒さずに走って法外な料金(といっても1200円くらいだけど)を吹っかけてきたドライバーと大喧嘩をしたことがあった。その時は相手が渋々引っ込んだが、今回どう見ても勝ち目はありそうにない。その上突然そのおっさんは突然舌打ちして携帯でどこかに電話をかけ始める。感じ悪いなあと思いつつも、とりあえず黙って座っていることにした。

運転に関してはおっさんの腕は確からしく、タクシーは渋滞を縫うようにフリーウェイを北へと向かう。ダウンタウンをぬけ西へ曲がったとたん、岩から削り出したような白いビルが目に飛び込んできた。この飾り気のない、しかし圧倒的な存在感の白亜のビルこそコカ・コーラ社の総本山、Coca-Cola International Headquarter なのである。ついにここまできたのかと感慨に耽っている私の隣で中橋がつぶやく。 「たかだかシロップ売るのに、なんであんなデカいビル作るかなぁ」 なるほど、そういう見方もあるのか。

かくしてHoliday Inn North Streetはコカ・コーラビルの向かいにあった。タクシー料金は市内まで一律$21.40と決まっていたらしく、メーターを倒さないのも当然である。タクシーから開放された安堵感も手伝って、ちょっと多いかなと思いながらも$25を渡しすことにした。つりは要らないと言うと、初めておっさんが照れくさそうに笑う。私はこのときほど人種の坩堝アメリカで、チップは生まれるべくして生まれたのだと実感したことはなかったように思う。

カードキーを渡され部屋へ入ると、その部屋の大きさにしばし圧倒されてしまった。シングルとツインの違いはあれど、新宿で泊った部屋のゆうに5倍はあるのだ。これで一晩$107、一人あたり6000円、その上朝食付きとなれば文句があろうはずがない。クイーンサイズのベッドに仰向けに倒れこむと、しばらく天井をみたままシーツの感触を楽しんだ。

普段ならとりあえずエサを探しに行こうということにもなるのだが、タクシーで気力を使い果たした我々はフロントに「日が暮れたら西には行かないほうがいい」と言われたことも手伝って外へ行く気にはなれなかった。そうなるとホテルの自販機で食料を調達するしかない。小銭をはたいてでRuffle やDoritos, ミスドのハニーディップの親玉みたいな菓子パン、それにコカ・コーラを買いこんで不健康の宴が始まった。

この日のメニューで特筆に値するものは、なんといってもコカ・コーラであった。一口飲んで驚いた。これまで飲んだどんなコカ・コーラよりも旨いのである。味や香りは他と変わらないのに、である。気分的な問題かと思ったけれど、中橋も同じ意見。しばらく飲んでいるうちに分かってきたのは、ここのコークは味や香り、炭酸などの個々のバランスが抜群に良いと言うことだった。コーラのバランスを整えることをCalibrate すると言うとMarkに聞いたことがあるが、本場アトランタのコカ・コーラはさしずめ "The Most Well-Calibrated Coke"といったところだろうか。

翌日、今回の目的地であるコカ・コーラのオフィシャルミュージアムへおもむく。地下鉄MARTAのFive Point駅で下車、しばらく歩くと木々の間からコカ・コーラの巨大なアイコンディスクが見え始める。博物館 "The World of Coca-Cola Atlanta" はそこにあった。我々ははやる気持ちを押さえて、中に入った。

エレベーターで3Fまで行くと、そこはまさに名に恥じぬコカ・コーラの博物館であった。中央に据えられたオブジェ "The Bottling Factory" の周りには、コカ・コーラの歴史的な資料―ペンバートンの契約書やオリジナルのハッチソン・ボトル、何百万円という値のつくであろう初期のノベルティなどありとあらゆるものが並べられている。とりわけ面白かったのは、1900年代初頭に出回りコカ・コーラを悩ませた"偽コーク"のボトルまでが保存されているということだった。このへんがコカ・コーラの懐の深さなのかもしれない。

開館直後ということで、まだ客はほとんどいなかった。これならゆっくり見て回れると余裕をかましていたのだが、振り返ったとたんその考えは簡単に打ち砕かれた。ガキの群れ−遠足である。低学年とおぼしきガキどもは突如現れたかとおもうと瞬く間にフロアを埋めつくしてしまった。我々は蝗禍にみまわれた農民のごとく嵐が去るのをじっと待ちながらも、アメリカの子供は遠足にコカ・コーラを見に来るのかと感心した。

この博物館でもう一つ目を興味深かったのが、コカ・コーラ社製品を自由に飲める"Taste of the State" と "Taste of the World"のコーナーであった。特に後者は世界中のボトラーの「非コーク飲料」が集められていて、中国のスイカファンタ(スイカよりスイカ味だった)やドイツのオレンジコーラ(まろやかで美味)などのファウンテンがずらりと並んでいる。日本代表が何故か「モネ」と「ベジータベータ」だったのには心が痛んだが、見たこともない飲み物をたらふく味わえて大満足であった。

この他にも映画やビデオ・初期のコカ・コーラの作りたかを実演してくれるコーナーなど中身はかなり充実している。出口には当然ながらグッズを扱う店があり、T-shirtからアクセサリーまでコカ・コーラと名のつくものなら何でも置いてあるかのような充実ぶりだった。私が$135分の買い物を終えて博物館を出たころにはもう時刻は正午近かった。朝から何も食べていなかった我々は近くの屋台でチキンとバンズしかないBBQチキンハンバーガーを調達し、目的もなく市内をうろつくことにした。

しばらくダウンタウンを歩いているうちに、この町の雰囲気が私がこれまで訪れたどんなアメリカの町とも違うことに気づき始めた。例えば街角で初めて出会った人達が、まるで気の合う友人のように陽気に挨拶を交わし談笑をはじめたりする。一人でいると誰かが話しかける。町の全員が顔見知りであるかのような錯覚を覚え、旅行者であることに微かな疎外感すら感じる。どうやらこれが "Southern Hospitality" というやつらしい。

サザン・ホスピタリティーといえば、「地球の歩き方」に次のような記述がある。「道でぼんやりしていると、気軽に声をかけてくれる。その笑顔と親切さが”サザン・ホスピタリティ”なのである」

しかしこれがアメリカ南部の人達の一面、それもかなりの贔屓であることは一度でもこの地方を訪れれば理解できるだろう。レストランの店員はたいてい喋っていてこちらが呼ぶまで注文を取りに来ないし、取りに来てもその態度はずいぶん横柄だ。アトランタに1年住んでいた知人が「彼らはフレンドリーではなく単に馴れ馴れしい」と言ったのも容易に理解できる。これが南部の文化というやつなのだろうが、私はだんだん腹が立ってきた。暖かい"Southern Hospitality"よりも冷たい"Northern Courtesy "−もしそんな言葉があれば、だが−のほうが私にはずっと嬉しかったのである。

翌日は勝手の分かった地下鉄に乗ってLENOX SQUAREへと向かう。ここはいかにも典型的なアメリカの郊外のショッピングモールで、広大な敷地に300以上の店やレストランが整然と並んでいる。中橋は前日TVで見た新発売の玩具「Operation Bugs」を求めておもちゃ屋を熱心に探していたが、お目当てのものはなかったようだ。アメリカでの最後の一日をショッピングに費やした我々はTaco-Bellで早めの夕飯を取るとホテルへと引き返した。

North Avenue駅を降りてみると、そこは見事な夕焼けだった。そしてその夕焼けの中に毅然とそびえるコカ・コーラのビルの姿があった。暮れゆく太陽に負けないぐらい赤く輝くCoca-Colaのロゴを見ながら私はふとコカ・コーラとは何なんだろう、と考えた。それはつまり、コーラとは何か、という問いでもあった。 「その答えはすでに失われてしまったのかもしれないな」 ぼんやりとそんなことを考えながら、私は薄暗くなった坂道を下っていった。

Coca-Cola World HQ

恐怖! 白昼のタクシー

 言うまでもないことだが,アメリカ合衆国は広い国である。その国土面積は日本の24.8倍。日本のトイレの平均的な広さを1畳(1.6m2)とすると,アメリカのトイレは日本の3LDK程度の広さということになる。それじゃ落ち着かん。

というのはもちろん冗談だが,我々がカナダの南端バンクーバーから,アメリカ南部の代表都市であるアトランタまで移動するのに要した時間はなんと飛行機で7時間(乗り換え1時間を含む)。これはカルチャーショック以前に肉体的にショックである。東京や大阪の狭苦しさにも辟易するが,この国の怠惰な広さにも若干うんざりである。

かくして降り立ったアトランタ・ハーツフィールド国際空港であったが,やっぱり広い。我々の宿はダウンタウンのほとんど西限にあるHoliday Innなのだが,いったいどうやって行けばよいのだろう? あまりの広さにどんどん冷静さを失っていく我々は,とりあえずHoliday Innと書いたバスに飛び乗ったのだが,着いてみると全然違う場所だったりしたのでそのまま黙って再び空港まで乗り続けたのだった。

バスを降りる時に中本が意を決して運転手に聞いてみたところ,面倒くさそうに「タクシーで行け」と言われてしまった。さすが自由と怠惰の国アメリカ,サザン・ホスピタリティーの地アトランタ。なんて親切なんだ。我々は仕方無くタクシー乗り場へと向かった。

大方の国や地域においてタクシーに乗るのは簡単である。ましてや空港においては,むしろ飛行機に乗るよりも易しい。ただタクシー乗り場で並べばよい。ただ問題は,運転手がちょっと恐そうな(しかもグレーのトレーナー姿の)ごつい黒人のあんちゃんだったりしても何だか断れないところか。

大方の区にや地域においてタクシーで行先を告げるのも簡単である。行き先の名前や住所を告げればよい。よくわかんなければ,メモを見せるのも可。ただ問題は,ガム噛みながら頷かれちゃったりするところか。

かくも,大方の区にや地域においてタクシーに乗るのは容易いが,それでも見知らぬ国でポンコツタクシーに乗せられておまけに運転手は恐いしトレーナーだし,その上突然携帯(しかもこの国の携帯はデカい)でどっかに電話されちゃったりすると,言われのない実存的不安にかられたりしても多分偏見ではないと思う。きっとこれから

「今日もいいカモを捕まえたぜ。ふたりとも若くていいケツだ。」

なんていう会話が交わされて,謎の中国人に売られてあれやこれやのメに遭うに違いない。見ると中本もなんだか同じことを考えているらしく,表情がこわばっている。目を合わせると泣き出しそうだからやめておこう。

しかしラッキーなことに携帯電話は繋がらなかったらしく,われわれは無事ダウンタウンのHoliday Innに到着した。チップを多めにはずむと,恐そうなあんちゃんは一瞬ニッと微笑んでポンコツタクシーと共に去っていった。やっぱ考え過ぎか。いやそれ以前にやっぱ偏見か。やはり恐るべしはアトランタである。

ジャンクフード

ジャンク・フードの宴

我々の旅も終わりに近づいたので,この辺でジャンクフードを解禁することにした。やはりアメリカといえばジャンクフード。ジャンクフードのないアメリカなんて,ちゃんぽんと皿うどんのない長崎のようなものである。そんなのは坂道と教会しかないのでとても空腹だ(偏見)。

というわけで,アトランタで我々が摂取したジャンクフードを思い付く限り列挙してみよう。

タコベルのタコス,ケンタッキーフライドチキン,ハードロックカフェのハンバーガー,スタンド売りのハンバーガー(ビネガーソースが旨い),ビーフジャーキー,チーズ味のクラッカー,ミニドーナツ(根っこ臭い),ねばねばした菓子パン,Raffle Original/Cheese/BBQ(ギザギザポテトチップス),ポップコーン(不自然に黄色い)

改めて眺めると,よく生きてたなーと感じる。

Coke Museum

コカ・コーラの源流を求めて

このままだと忘れてしまいそうなので,一応今回の旅の主目的である「The Coca-Cola Museum」について触れておかなければなるまい。

The Coca-Cola Museumはアトランタ・ダウンタウンのほぼ中心部,アンダーグラウンドのすぐ南側にある。我々は気張って朝10時頃から繰り出したのだが,この時間帯だとまだ店も開いていないし,人通りも少なくてなんだか不穏な雰囲気である。それでも中に入るとやかましい遠足のガキとか,大阪弁できゃあきゃあ言ってる女の子たちなど,いきなり普遍的な観光地世界が広がる。さすが世界のコカ・コーラといったところか。

で,コカ・コーラの世界征服の歴史について学ぶのも悪くないのだが,なんといっても見どころは試飲コーナーである。ここではコカ・コーラはもちろん,世界のコカ・コーラ社の(コカ・コーラ以外の)飲み物が飲み放題なのだ。なぜか日本からはベジータベータが出品されていたりして複雑な心持ちであるが,ドイツのMEZZO MIXを飲むことができたので中本は満悦そうであった。

Coke Museum / 工場模型
Coke Museum / 試飲コーナー

Operation Bugを探せ

いろいろ書いていると誤解されるかもしれないが,私はアメリカが嫌いってわけではない。むしろアメリカ人の食い物と遊びに対する貪欲さというか,奔放さというか,そういうエネルギーには敬服せざるを得ない。

ホテルの部屋(しつこいようだがやたら広い)でテレビを見ている時に,突然始まったCMに私は心を奪われてしまった。

「CREATE YOUR OWN MUTANT! (自分だけの突然変異体をつくろう!)」

何だこのイカれたコピーは。そして画面上では昆虫(のオモチャ)の腹の中からどろどろネチョネチョの液体にまみれた小さな虫たちが...。遊んでいる子供たちは興奮して,踊り回っている。ちなみに名前は「Operation Bug」。

これはすごい。私は直感した。いまだかつて,こんなにもエキサイティングなオモチャは見たことがない(ひたすら人間を轢き殺すのが目的というクールなカーレースゲームは見たことがあるが)。端的に言えば,欲しいぞコレ!!!!

というわけで早速翌日,我々はアトランタ最大のショッピングセンターである「ブロンクス・センター」へと向かった。これまたでかい。でかけりゃいいってもんじゃないが,でも薄暗くないし人通りも多いしガム噛んでないので許す。

ここで中本は泣きながらコーラフロートを食ったり(⇒四季報10月号),家電安売りのTargetでマライヤ・キャリーのCDを$1.99-で購入したり,泣きながらタシロ君(仮名)のお土産を買ったりしていたが,私はついにお目当ての Operation Bug を発見することはできなかった。残念。

ちなみにこの日,私は入る店ごとに万引き警報機を鳴らしてなんだかとても気まずかったが,帰国後の子細な調査の結果,その日ハードロック・カフェで購入したCDのタグが付けっぱなしだった。外せよ,HRCのははーんさん。

エピローグ

座席の都合で,アトランタから日本までは別々の便を利用することになっていた。10日間に渡って眺め続ける羽目となった中本の顔とも,これでようやく暫しの別れである。

デトロイトで成田行きのジャンボ・ジェットに搭乗し,狭いエコノミー・クラスのシートに身を沈めると,この短い間の出来事が次々と思い出される。些細なトラブル(ブラッドレッド爆発とか,恐怖のタクシーとか,バンクーバーのマクドとか中本の風邪とかその他諸々)は多かったが,無事この飛行機に乗り込めたことに,とりもなおさず,感謝せねばならないだろう。

自由と平等の国,アメリカ。ここでは成功した者にも,夢破れた者にも,普遍的なものがある。皆コカ・コーラを飲み,ペプシを空け,ドラッグストアで6本$1.95-のプライベートブランドを買って帰る。そしてそれこそがこの国の厳しい現実を覆い隠す,アメリカン・ドリームの実態なのかもしれない。

人が歴史を創るのか。歴史が人を創るのか。そんな疑問はこれまでに無数に繰り返されてきた。だが愚問だ。必然と偶然とを分類するものは結果だけ---例えば,私はこうして太平洋の真ん中でさえ,コカ・コーラを味わうことができる---ただそれだけだ。そしていつか,我々はまた新しい歴史を知るために,旅に出るのだろう。

ひとくちメモ・アトランタ

広さ ちなみにこの国のバスルームは(風呂とトイレが一緒とはいえ)下手すると6畳くらいの広さがって,なんだかとても惨めな気持になるので注意。

根っこ臭い アメリカは木の根っこの臭いが好きだ。というか,これは正確にはスパイスの一種といった方がいいのだろう。

タシロ君(仮名) 詳細を明かすと中本の身が危ないので,ここでは伏せる。

Operation Bugs Treandmastersに製品情報が掲載されている。けど意味不明なので,TOYSRUSなどで調べた方がベターかも。

ははーんさん 出典は東京シティーボーイズの「鍵のないトイレ」。ここでは何を言っても「ははーん」としか言わないフランクな南部の人々を指す。

以上,中本の視点と中橋の視点から平行してお送りしました。記述はおおむね事実に基づいていますが,若干脚色されているため双方で記述が食い違っているところがあります。気にしないでください。


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