コーラ白書
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特集 コーラ歴史の研究「異端のコーラ・afri-cola」
パッケージの変遷
afri-colaのパッケージの変遷。 左:60年代の缶 中央:98年(買収前)の輸出用250mlボトル 右:現在の500mlPETボトル

これまで世界で発売されてきた何千というコーラの中で、1世紀以上存続しているのはコカ・コーラとペプシを数えるのみである。この2つの突出したブランドを除けば一般にコーラの寿命は長くても数十年、短ければ3週間程度で姿を消すこともある。特にコーラの歴史の浅い北米以外の地域ではさらに短命になる傾向がある。

その中において、今年75周年を迎えるコーラがドイツに存在する。独特のフォーミュレーションとマーケティング戦略で熱狂的ファンを持つ異端のコーラ。世界最高レベルのカフェイン量を誇り、コーラの本場アメリカでライセンス製造されている数少ないコーラの一つ。今回はドイツが世界に誇るコーラ、afri-colaを特集する。

afri-colaの誕生

Afri-colaは1931年にドイツのF. Blumhoffer Nachfolger GmbHによって商標が登録されされた事に始まる。これはRoyal Crown Cola より2年早く、現存するコーラとしてはコーク、ペプシに次ぐ古さである(と思う)。コカ・コーラが1903年に公表した「偽者コーラ」の中にはAfri-Kolaというものがあるが、afri-colaとは直接の関係はないと考えられる。

Afri-colaと聞いてまず不思議に思うのがその名前の由来であるが、その詳細は知られていない。ちなみにAfriとは地中海南岸の地域を指す言葉で、アフリカの語源としても知られる。シンボルの椰子の木も、チュニジアあたりのイメージから取られたものなのかもしれない(でもココヤシはアジア原産。)

Afri-cola誕生の背景や発売当時の状況についても資料は残っていないようだ。一つ確かなことはドイツは20年代から始まったコカ・コーラの欧州展開の中で、最も成功した国の一つであるということだ。(大戦前、米国外で同社が黒字になったのはカナダ・キューバとドイツだけであったと言われる)。他の欧州の国に先駆けて、ドイツには30年代にはコーラを受け入れる市場が出来上がっていたことは想像に難くない。

Afri-colaの象徴であるココヤシ(椰子の木)は、発売当初からブランドイメージの中心に据えられている。1930年代のガラスボトルには中央に椰子の木が大きくエンボスされており、ロゴの下には「SCHUTZMARKE MIT DER PALME(TRADE MARK WITH THE PALM)」という記述が見られる。当時はかなり椰子の木がリアルだった。

また当時のロゴは筆記体をベースにした垢抜けないタイポグラフィで、Colaのあたりにはどこかコカ・コーラのスペンサー調の影響が見られる。キャッチコピーは” immer erfrischend (Always Recreating) ”とこちらもコークの”Refreshing”とイメージが重なる。

つまり少なくとも当時の広告などを見る限り、発売当初のafri-colaは普通の「コカ・コーラに似たコーラ」の一つでしかなかったようだ。

デザイン革命

当然上述のような没個性なコーラでは、市場で生き残っていくのは難しい。Wiki[2]によれば、60年代には市場での競争力を失っていたという。1960年後半、afri-colaは起死回生の一手としてブランドイメージの刷新に着手した。

筆記体だったロゴはシンプルなタイポに変更され、ココヤシは従来のリアルなものからシンボルとして単純化された。60年代中盤に発売されたafri-cola初の缶パッケージには、この新しいロゴマークが採用されている。しかし初期缶のデザインはコカ・コーラのスモールダイヤモンドの影響を強く受けたもので、まだafriの独自色を出し切れてはいなかった。

その後同社はさらにデザインに磨きをかけ、ロゴはさらに洗練された。Afriのロゴは縦長になり、シンボルのココヤシも曲線をなくし全て直線で描かれるようになった。余計なものは全てそぎ落とし、ベースをモノトーンにすることでストイックなまでにシャープなロゴを完成させたのだ。このデザインは現在でも使用されている。

初期のロゴ 60年代中盤 60年代後半(〜現在)

またパッケージデザインも一新された。これまでの寸胴のエンボスガラス瓶に替わって、有名なafri-colaボトルが導入されたのだ。この新ボトルは半円状にくびれた胴と尖った先端が特徴の、どこかゴシック建築の尖塔を思わせるフォルムのものであった(写真下)。このガラスボトルはドイツ国内で1998年まで、またアメリカでは現在も使用されている。

ボトル

伝説のCM

そしてafri-colaを一躍有名にしたのは、68年に公開された伝説的なCMである。Charles Wilpが手がけたこのフィルムは濡れた(凍った?)ガラス越しに様々な女性がafri-colaを飲みながらボトルを眺めるといったもので、実験映像のような画像や音楽が延々と続くという野心的なものだった。特に話題になったのは後半に出てくる尼僧のシーン。3人の美しい尼僧がafri-colaを飲みながら恍惚とした表情を見せるシーンは宗教的タブーへの挑戦であり、イメージ刷新に燃えるafri-colaの強い姿勢が伺える。

結局この尼僧のシーンはあまりにも「俗物的」と問題になり、70年代にはその部分を差し替えたCMに変更されたそうだが、この映像によりafri-colaのカルトなイメージは不動のものとなった。ちなみに現在このCM映像はYouTube上で観ることができる。

68年の「伝説のCM」

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70年代の看板 

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70年代以降afri-colaは積極的にノベルティグッズを展開。T-シャツやポロシャツを始め、ライターやCDなど様々なロゴ入りグッズをリリースした。これらのアイテムは今でも人気が高く、オークションなどで取引されている。(現在のafri-colaのサイト[1]から、ebay.deのafri-colaアイテムのページにリンクが張られていたりする・・公認なのね)

翻弄された「世界最強」

afri-colaを語る上で外せないのが、含有されるカフェインの量である。2006年10月現在の同コーラのカフェインの量は25mg/100mlで、これはドイツの清涼飲料水の法定含有量の上限と言われている。350ml換算で87mgとなり、これはカフェインで有名なJolt Colaより20%も多い。

「現在」と断ったのは、過去afri-colaにはカフェインの量が大きく変更された経緯があるからだ。

1998年、afri-cola GmbHはMineralbrunnen Uberkingen-Teinach AG に買収された。この際新しい親会社はフォーミュラ(配合)を変更、当時25mg/100mlだったカフェインは15mg/100ml以下まで削減された。あわせて独特のガラスボトルがペットボトルに置き換えられ、afri-colaは2本のブランドの柱を同時に失った。そのショックは大きく、当時の従業員をして「afri-colaは死んだ」と言わしめたほどだった。

しかしその後afri-colaの売れ行きは伸びず、Mineralbrunnen社はカフェイン回帰路線を打ち出す。まず2005年にフォーミュラを再変更しカフェイン量を20mg/100mlに引き上げたのに続いて、2006年4月1日よりオリジナルフォーミュラを復活させた。それに伴いカフェイン含有量は世界最高レベルに返り咲いたのだ。

現在ではカフェインの多さはafri-colaの差別化戦略の軸となりつつある。上記のフォーミュラ復活のプレスリリースでは、「Der groszugige Koffeingehalt von afri-cola ist Kult」(豊富なカフェインの含有量はafri-colaのカルトである)という文章から始まる。またマーケティングマネージャーKay Malucheが「25mg/100mgは魔法のフォーミュラ」と述べるなど、カフェインの量を積極的にアピールする姿が見られる。

世界にはばたけ、ケルンの心

カルト(独Kult 英Cult)という言葉はいくつかの意味を含むが、afri-colaには「崇拝の対象」という言葉がしっくり来るように思う。どこか宗教的な畏怖さえ抱かせるブランドイメージと他を圧倒するカフェインの量は、熱狂的な信者を生み出した。加えて近年新製品のAfri-whiteをリリースするなど、その勢いに衰えは見えない。

しかし彼らの状況は順風満帆とは言い難い。母国ドイツのコーラ市場はコカ・コーラの一人勝ちで、都心部でafri-colaを扱う店は多くない。海外展開も現在6カ国に留まり、アメリカなどでも「珍しいコーラ」として、ごく限られた場所でしか扱われていないのが現状だ。

Afri-colaが100年ブランドになれるか否か、ここ数年が正念場なのかもしれない。

■参考サイト

[1] afri-cola 公式サイト

[2] Afri-Cola - Wikipedia, the free encyclopedia