中本 晋輔 コーラという言葉からからまず連想されるイメージは、泡立つ黒い液体ではないだろうか。事実世界中で流通しているほぼ全てのコーラ飲料はこのステレオイメージどおりの製品だ。 しかしながら100余年のコーラ史の中には黒くないコーラが数多く存在する。今回はそんな「異色」のコーラにスポットを当ててみたい。 漆黒の呪縛そもそも何故コーラは黒いのか。これは初期の原材料に由来する。 コーラの語源は原材料のひとつであるアオギリ科の植物の種子「コーラナッツ(kola nuts)」である。このコーラナッツにはカフェインを目的に原材料に使われていたが、そのほかにもコラニンという成分を含んでいる。これが古くなるとコラニンレッドに変化し、独特の暗赤色を呈する。つまりコーラナッツを材料に使う以上は、必ず黒い液体が出来上がってしまうのだ。 しかし20世紀中頃からコーラメーカーは高価なコーラナッツを使用する従来の製法から、その主成分であるカフェインのみを添加する製法に切り替えた。ここで問題になるのがその色。これまで「不純物」のコラニンレッドによって黒くなっていたコーラが、製法の変更により黒くなくなってしまうのだ。 当時、既に「コーラ=黒」の構図が出来上がっていた。そこでメーカーはコーラを黒に着色する方法を採用した。すなわちカラメル色素(註1)を入れて、コストをかけてでもコーラの色を維持しようと考えたのである。 カラメル色素をどこが最初に始めたかは定かではないが、1960年代にはアメリカのコーラのほとんどにカラメル色素が使われるようになった。カラメル着色をしたコーラには「Caramel Colored」という表記がされており、当時はアピールすべきポイントだったのかもしれない。 現在のコーラは一部のドラフト系コーラを除いて、そのほとんどにがカラメルで着色されたもである。現在では初期のコーラがどのような色だったのか知る術はないが、古川緑波は「悲食記」の中で「アムバーの薄色で、殆んど透明だったようだ」と述べている(註2)。 もしかすると今のコーラよりずっと薄い色の飲み物だったのかもしれない。 透明コーラ現る!以上の歴史から言えるのは、コーラは初期の配合上しかたなく黒くなっただけのことで、技術的には何色のコーラでも作れるということである。ペルーの国民的飲料INCA KOLAの金色はその好例だ。しかし保守的なコカ・コーラがリードするアメリカ市場では、この黒の呪縛を破るメーカーはなかなか現れなかった。 これに対して日本市場では70年代以降に国産コーラがブームになり、差別化を図った多くの製品が世に輩出されていた。その中で色のタブーに立ち向かったのが84年に発売された伝説的飲料、ミラクルアルファである。 キャッチコピーは「ミラクルシャワーのクリアーな衝撃」。「White Cola」と謳ったが、中身は白ではなく完全な透明。発売元の当時清涼飲料の開発に力を入れており、クリームコーラなどの型破りな製品を販売していた森永製菓である この大胆な試みは市場には受け入れられず、奇跡のコーラは単年でその製品生命を終える。しかし本品の与えた影響は小さくなく、その後もヤマザキ「White Cola」、サッポロビール「アークティックコーラ」、 味の素「Clear Cola」などが登場。国産クリアーコーラブームは80年代後半まで続いた。 クリスタル大戦勃発黒以外のコーラを作る気がないように思われた米国市場でも、90年代に入ると状況が一変する。「クリスタルブーム」の到来である。この頃のアメリカでは清浄さを連想させる透明な製品が人気を博し、洗剤や歯磨き粉、ビールなどあらゆるものが透明になった。清涼飲料業界でもクリアリーカナディアン等の透明なフレーバーソーダが若者の間で人気となった。 この流れをいち早く察知したのがPepsiCoであった。同社は93年に初の透明コーラ「Crystal PEPSI」を開発、テスト販売なしでいきなり市場投入したのである。これはカフェインとカラメル色素が入っていない透き通ったペプシコーラで、缶以外にもガラスボトルやPETボトルで発売された。同時に人工甘味料を使った姉妹品「diet Crystal PEPSI」もリリースするほどの力の入れようだった。 このライバルの動きに、コカ・コーラも重い腰を上げざるを得なくなった。しかし当時コカ・コーラはこの自社のブランドを安易に別製品に使用することに慎重で、新製品に「Coca-Cola」のブランドを冠することを嫌った。その結果白羽の矢が立ったのが、同社の第二コーラブランド「TaB」であった。 TaBは元々コカ・コーラが60年代にダイエットコーラ用として立ち上げたブランドで、常に新製品の人柱となってきた経緯がある(註3)。コカ・コーラは無色透明のダイエットコーラとして「TaB Clear」を発売、ブランドカラーであるピンクを薄めたパステルカラーのパッケージが印象的だった。 このアメリカでのクリスタル戦争は海外にも飛び火した。PEPSI CoがドイツでCrystal PEPSIを発売すると、Coca-Colaはイギリスと日本でTaB Clearを展開。国内ではCMに俵孝太郎を起用したティザー(じらし)CMが話題を呼んだ。 しかし結局透明コーラは市場に定着せず、Crystal PEPSI、TaB Clearとも1年で姿を消した。また元々透明ブームもなくTaBもない日本で成功するはずもなく、当時のアスパルテームの不人気と相まってやはり1年で消滅した。 その後も透明コーラへの未練は断ち切れず、PepsiCoはフレーバーを追加した「Citrus Taste Crystal PEPSI」を、Coca-Colaは果糖を入れた「変わってしまった。TaB Clear」をリリースしたが、透明コーラの不人気ぶりを再認識しただけに終わった。 ちなみに93年7月にアサヒ飲料が地域限定で「Schweppes 透明コーラ」をリリースしていたが、こちらも同じ末路を辿ったようだ。 色の時代へ莫大な費用をかけたCrystal PEPSIの失敗からコーラメーカーは大事な教訓を得た。コーラは黒くある必要はないが、透明にしても売れるものではないという事である。以降現在に至るまで透明コーラを積極的に作ろうとするメーカーは現れておらず、のど元を過ぎるにはもう少し時間がかかりそうだ。 これに替わって台頭したのが、赤や青などの着色を施したコーラである。90年代後半からUrban Juice & Soda等がカラフルなソーダのラインナップを展開し人気を集めており、その影響は黒に回帰していたコーラ業界にも及んだ。 「色物」を積極的に取り入れたのはPepsiCoだった。2002年にPEPSI のブランドカラーである青に着色した「PEPSI Blue」をアメリカで発売。この史上初の青いコーラは若年層を狙って開発したもので、フレーバーも若者を対象にしたアンケートで人気の高かった「ベリー味」が選ばれた。しかしその中途半端なコンセプトが災いしたのか1年で生産は打ち切られた。 だが、このコーラは意外なところで生き延びた。PepsiCoの実験場と名高いマレーシアではPEPSI Blueが人気で、バージョンアップを重ねながら現在でも製造されている。こちらは米国製とちがって通常のペプシの味である。また04年にはサントリーが期間限定でPEPSI Blueを日本で発売し、同時期にリリースされたライバルのCoca-Cola C2を喰うほどの話題を呼んだ。 この後ペプシは2006年春にマレーシアとタイでで金色(黄色?)のPEPSI Goldを発売、その年の後半にはサントリーにより日本でも限定発売された。サントリーはその他にもPEPSI Red、PEPSI Carnival(共に06年)、PEPSI ICE CUCMBER(07年)などカラフルなコーラを積極的にリリースしている。 また珍しいところではチェリオが見た目とフレーバーが一致しない「なんちゃってシリーズ」を発売。赤いなんちゃってコーラや黒い(コーラに似せた)なんちゃってピーチなどをリリースしている。 これまで発売された主な黒以外のコーラを以下にまとめる。
黒への回帰繰り返しになるが、コーラが黒である必要は現在においてはもうない。しかしこれまで誕生した黒以外のコーラは殆んどが短命であるのも事実である。色はコーラ市場においては決定力にはなりえず、また市場はコーラが黒い事を受け入れている。 コーラの定義で述べたように、コーラには定義がない。だからこそ、「黒」という色が一つの大きな拠り所になっているのかもしれない。だとすればコーラナッツの功績は計り知れない。 (註1)カラメル色素とは砂糖などの糖を熱分解して作られる水溶性の天然添加物。着色の用途で使われるが、その他にもコクやフレーバーエンハンサーとしての効果もある。プリンの底(プッチンすると上)にいらっしゃるイメージが強いが、国内では清涼飲料に最も多く(20%以上)使われているそうだ。カラメル色素にはその処理法によってI〜IVに分類され、コーラには酸性下で安定なIV(E150d)が主に使用される。 (註2)古川緑波「悲食記」(学風書院)P105より。ちなみに緑波氏はペプシコーラ派である。 (註3)現在ではエナジードリンクのブランドになっている。 |