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コーラ四季報 コーラの歴史 第8回
中橋 一朗

ダイエット・コーラ

第二次世界大戦以降、アメリカの人々の生活は変化し、 かつてペンバートンが万能薬作りに精を出したような、 のどかな生活は地方へと追いやられていった。 そんな「古き良きアメリカ」のコカ・コーラは次第にシェアを失い、 クールで都会的なペプシが徐々に勢力を伸ばしつつあった。 ペプシ自らが「ペプシ・ジェネレーション」と呼んだ、世代交代の始まりであった。

ペプシの販売戦略は、その商品イメージとは裏腹に、実に情熱的で攻撃的だ。 なかでも「ペプシ・チャレンジ」と銘打ったキャンペーンは歴史的にも類を見ないほど強烈なものである。 これは不特定多数の消費者にコークとペプシを銘柄を伏せて飲み比べてもらい、 どちらの味をより好んだかを集計する、比較広告の一種である。 結果、「ペプシの味の方が、コークの味よりも好まれる」という意外な事実が明らかになり、 多くの「飲まず嫌い」な消費者を取り込むことに成功した。

また、この時代になると肥満が社会的にも敬遠されるようになり、 ダイエット飲料が需要を伸ばしていた。 ペプシはサッカリンに代わる新しい甘味料アスパルテーム(商品名 Nutrasweet/日本ではパルスイート)を使用したダイエット・ペプシを投入し、 味の良いダイエットコーラとして人気を博した。 (ちなみにダイエットコーラの始祖はロイヤル・クラウンである)

ペプシに追い上げられるコカ・コーラ社の危機感はこれまでにないものとなった。 時に、コカ・コーラ帝国を支えてきた大御所ロバート・ウッドラフが高齢のため現役を退き、新たにキューバ人のロベルト・ゴイズエタが社のCEOとして就任したころである。 そして若い指導者を得て、社は非常に重大な決定を下すことになる。 ダイエット・コークの発売である。

コークは世界でたったひとつ。決してまがい物や混ぜ物を認めてはいけない。 ...これがコカ・コーラ社の100年にわたる伝統であり、信念であった。 そしてこの信念を徹底してきたからこそ、コークはアメリカの象徴として世界に根を張ることができたのである。 だがもはや「ダイエット・コーク」なしではやっていけない、それがゴイズエタの判断であった。

実はコカ・コーラ社はすでにダイエット飲料として TaB を販売していた。 なぜこれでは不足だったのか。 ひとつは TaB が甘味料にサッカリンを使用していたことにある。 これでは「味の良い」ダイエットはむずかしい。 しかしそれにも増して大きかったのは、世界で最高の飲み物コカ・コーラを守るためには、世界で最高のダイエット飲料としてのダイエット・コークもまた必要である、という認識だったようである。

そしてダイエット・コークはアスパルテームを甘味料として発売された。 ダイエット・コークの売上げは上々で、「コーク」ブランドの力を見せつける結果となった。

ジャクソンズ、ペプシと組む

けれども実はペプシには隠し玉があった。 なんとコマーシャルにあのマイケル・ジャクソンを起用したのである。

1984年2月、マイケルは「スリラー」で8つのグラミー賞を受賞。 その授賞式の中継で、マイケルが出演するペプシのコマーシャルが放映された。 このコマーシャルは全国のテレビニュースで、ラジオで、新聞でも報道され、 たちまち全米の話題をさらった。 ペプシの売上げは急上昇し、ついにコカ・コーラを追い抜いた。

このことがゴイズエタにもう一つの決断を迫った。 そして「カンザス計画」がスタートした。

ちなみにマイケル・ジャクソンだが、最初ペプシとの契約に合意した時にこう言ったらしい。

「コークに、ペプシだったらよかったのに、と思わせてやりますよ。」

カンザス計画

コカ・コーラ社はすでに新しい調合を完成させていた。 それはより甘味が強くて、雑味のない、つまりはペプシみたいな味だった。 そして極秘のうちにペプシ・チャレンジのような目隠しテストを行い、 これがペプシよりも高い評価を得ることを確認した。 つまり、新しいコークはペプシにチャレンジすることで生まれたのだった。

1985年4月23日の火曜日、ついに歴史的な記者会見が行われた。 ゴズイエタ自信たっぷりには次のことを宣言した。 「一番美味しい清涼飲料コカ・コーラは、今後もっと美味しくなります。」

しかし実際の消費者の反応は冷たかった、というより、ほとんど攻撃的であった。 消費者ホットラインには、1日1000本以上の抗議の電話が殺到。 6月始めには一日8000本にも達した。 また、抗議の手紙は4万通を越えた。 ニュー・コークは、最初こそ物珍しさで売れたが、以降さっぱり売れなくなった

ニュー・コークが目隠しテストで好成績を上げたにもかかわらず全く受け入れられなかった理由としては、幾つか推測されている。 一口目はおいしく感じるが、味が単調で飽きが来る、などという話もあるが、 やはり一番大きかったのは、幼少のころからずっと慣れ親しんで来た「アメリカのコーク」が失われた悲しみだったようである。 彼らは時にはペプシも飲むし、コークの味ではなくてコークそのものを愛していたのである。

かくして世界最大のマーケティング計画は、世界最大の失敗に終わった。 けれども結果的コカ・コーラ社は損失以上の宣伝効果を上げたことになる。 というのも、ニュー・コークに代わって再び旧来のコークを (コーク・クラッシックとして)再発売し、 再びペプシを凌ぐ売上げを達成したからである。

ちなみに1992年から93年にかけて Coke II というものが米国で販売されているが、これがニュ・コークとどのように関連するのか興味深いところである。


[コーラ四季報98年7月号]
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