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なかはしいちろう コーラの歴史はせいぜい120年程度のものに過ぎないが,そのベースである炭酸水の歴史は古い。正確なところはよくわからないが,数千年,あるいは数万年以上前から知られていたはずである。 なぜなら,炭酸水は人類が誕生するよりもずっと前から自然界に存在しているからだ。温泉と同じく,地質的な条件が揃えば勝手に湧いてくるのだ。例えば有名な炭酸水ブランドであるペリエ(Perrier)は,フランス南部に湧出する天然の炭酸水を瓶詰めしたものだ。 もちろん,そのような炭酸泉は日本国内にも存在する。中でも兵庫県東部は三ツ矢サイダー発祥の地として非常に重要な地域といえよう。 平野水と三ツ矢サイダーサンシャイン(現在は改装中) 阪急梅田駅から約40分,能勢電鉄妙見線の平野駅は国道173号線を少し山側に入ったところにあった[地図]。R173は大阪と丹波・篠山を結ぶ重要な道であり,現在でも交通量は多い。周囲は典型的な山間のベッドタウンとして開発が進んでいるようだ。 中本と私は,国道と線路に挟まれて流れる塩川に沿って5分ほど歩く。目印は「ホームセンター サンシャイン」。その敷地内に「三ツ矢記念館」があるという。 店の入り口付近に案内看板があり,その場所はすぐに確認できたのだが,若干問題が...。 我々はギリギリセーフ!だったのだが,これを読んで興味を持たれた読者の方々には,残念ながら再開を待っていただく他ない。 記念館は(現時点では)店の裏手北側にある。小高い場所に最初に見えてくるのは「三ツ矢塔」湧出した炭酸水から炭酸ガスを補集するための設備だったようである。さらに奥へ進むと「御料品製造所」を移設改修した記念館(展示室)に辿り着く。中には三ツ矢サイダーに関する歴史的資料が多数展示されており,なかなか興味深い。自販機で三ツ矢サイダーを購入して飲むこともできた。 設置されていた碑文によると,この平野の炭酸泉を発見したのは源満仲(912〜997)と伝えられているそうだ。満仲が築城適地を求めて住吉大社に記念したところ,鏑矢を放って求めよとの神託が得られた。そうして得られたのがこの平野の土地であり,「満ツ矢」転じて「三ツ矢」となったのだとか。 この平野の炭酸水は永らく薬用・浴用に利用されたが,明治初期に外国人迎賓用の炭酸水として再発見され,皇室御料品として厳重な管理の下で生産されたようである(これは「平野水」と呼ばれ,炭酸水の代名詞ともなった)。 清涼飲料水としての三ツ矢サイダーは1907年(明治40年)に帝国鉱泉株式会社が生産を開始,後にアサヒビール株式会社がそれを引き継ぎ,1954年(昭和29年)まで実際にこの場所で生産を続けた。 |
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