コーラ白書
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なかはしいちろう 

かれこれ1年ほど、アフリカで暮らしている。東南部にあるマラウイという国だ。日本では(そして多分世界的にも)あまり知られていない小国である。先日従姉妹と話をした折など、「マラウイで検索したら『もしかして:マラウイ おなら』って出るんだけど、そういう国?」と聞かれる始末である(このことはマラウイ人には秘密にしておこう)

マラウイとはどんな国か

マラウイは「北海道と九州をあわせた面積(外務省)」の南北に細長い国で、そのうちの2割をマラウイ湖というアフリカで3番目に大きな湖が占めている。湖面の標高は600m程だが、国土の大部分は標高1,000m以上の高地にあり、日差しこそ強いものの涼しくて過ごしやすい土地だ。広大なサバンナと森林が広がっているが、

日本人や欧米人が期待するような野生動物(ゾウ、キリン、ライオン…)はほとんど生息せず、多くの観光客をガッカリさせている。マラウイ湖では色とりどりの熱帯魚が見られるそうだが、寄生虫がいるため泳ぐことはお勧めしない。

近年経済発展が著しいアフリカにあって、マラウイも比較的順調に成長を遂げてきたものの、目ぼしい輸出産品もないことから、ここ数年は伸び悩んでいる(GDPで年率4%程度)。一人当たりのGNI(国民総所得)は330米ドルで、データのある201の国と地域の中ではビリから4番目だ(2010年世銀)。乱暴にいえば一人当たりのGNIは平均年収を表すから、マラウイの平均年収は330米ドル(約26,000円)ということになる。

ちなみに日本やアメリカの一人当たりGNIは約40,000米ドル(320万円)。これらの数値をグラフにすると…マラウイは見えない。

現在の国際社会では、「1日1ドル以下の生活」を「著しい貧困」とする定義が一般的である。とすれば、まさにマラウイは貧困の国。そもそもコーラなんてあるんだろうか、と心配になってくる。

コーラから見るマラウイ

結論から言えば、マラウイにもコーラはある。瓶入りのCokeは、店さえあれば大抵買える。値段は定価で60マラウイクワチャ(約20円)。ボトルは日本のもの(250ml)より少し大きな300ml入りで、結構飲み応えがある。甘味料は砂糖のみ。砂糖はこの国では数少ない国産製品のひとつなのだ。

少し田舎に行くと値段は70クワチャくらいに値上がりする(しかも電気がないので常温)。もう少し田舎に行くと、市場も商店もなくて、Cokeどころか野菜すら買えない物々交換の世界が待っている。確たるデータがあるわけではないが、マラウイで常時Cokeにアクセスできる(お金があれば購入できる機会がある)人々の割合は、人口の3?4割程度と見積もれると思う。そういう観点で見ると、Cokeはまだまだ特別な飲み物だ。

先ほどの国民一人当たりGNIを年収と見なし、各国のCokeの値段で割ったもの(下グラフ)でも、そのことが裏付けられる。年収との比較でいえば、マラウイでのコカ・コーラ1本は日本での2,000円以上に相当するのである。

なお、PEPSIは今のところ参入していない。2社が競争を行えるだけの市場規模があるとは言い難く、当分はCokeの独占が続くだろう。

首都などの大都市では南アフリカ共和国、中国などからの輸入品や、インド系、パキスタン系、中東系などの資本で生産された国産コーラも購入できるが、種類も量も多いとはいえない。写真は首都の大規模スーパーマーケットで購入した国産コーラで、価格は確か100クワチャ位。可も不可もない、そのへんのプライベートブランドのような味。

以前別のスーパーで購入したコーラは、どうも物足りない味だなあ、と思ったら何故かカフェインフリーだった。そのスーパーは中東系の経営だったので、もしかしたらイスラム教が関係しているのだろうか、とも思ったが、ムスリムもコーヒーは嗜むわけで、結局理由はよく分からない。

というわけで、マラウイにもコーラはあるが、日本でのコーラほど手軽なものではなかった。では、マラウイの人々は何を普段何を飲んでいるのだろうか

現金収入のある人(公務員、都市部のビジネスパーソン等)にとっては、Cokeは十分手が届く、普段の飲み物だ。飲み過ぎで糖尿病を患う人すら少なくない。といっても、実はマラウイではCokeよりもFantaの方がメジャーである。誰かに「Fantaを渡す」というのは、ちょっとした賄賂を渡すという意味だったりもする(例えばスピード違反で捕まった時などに)。

その他大多数の人々、すなわち村の農民たちにとっては、CokeやFantaはちょっと贅沢な飲み物である。大切な客人が訪れたときや、子供が病気になってしまった時のためのものだ(病気の子供にFantaを飲ませるのは栄養学的には間違っているが、気持ちはよく分かる)。

日常のティーブレークには、砂糖たっぷりの紅茶を飲むことが多い。紅茶は国内で栽培していて、輸出に適さなかったB級品が比較的安く出回っている。その葉を使って薄い紅茶をいれ、そこに砂糖をしこたま放り込む。ほとんど砂糖水の味なのだが、要は甘ければいいみたいだ。

普段は水を飲む。大抵の場所で水道はない。井戸があれば井戸の水を飲む。井戸がなければ川の水を飲む。大人はまず問題ないが、子供は時々お腹を壊す。煮沸してから飲めばいいことは知っているが、薪を拾ってくるところから始めないといけないので、面倒だからやらない。

 

マラウイのコカ・コーラ

マラウイのコカ・コーラについて、もう少し詳しく見てみよう。

基本は300mlのガラス瓶である。定価はつい数カ月前まで50クワチャだったが、激しいインフレのため、最近60クワチャ(約20円)に値上げされた。

先にも述べたが、マラウイは輸出産品に乏しく、恒常的な外貨不足に苦しんでいる。そのせいで原料の輸入ができず、昨年末はCokeやFantaも深刻な供給不足に陥った。しばらくして登場したのが無地の王冠のCoke(写真下左)、続いて現在出回っているのが黄色王冠のCoke(下右)である。黄色はFanta用の原料を流用したものと思われる。ブランドイメージを重視するCoca-Colaのことだから、アトランタにバレたら随分叱られるのではないか。

また、ガラス瓶の回収率が低いことも問題になっているらしく、新聞やテレビを通じた広報を度々行っている。だが、新聞もテレビも普及率が大変低く、どれくらいの効果があるかは疑問だ。ちなみにガラス瓶1本あたりの保証金は20クワチャ(約7円)。

大都市部に限っては、瓶入りのCoke Light(ノーカロリー)も流通している。これは世界的にも珍しいと思うのだが、どうだろうか。

ETボトル入りの500ml品は、長距離バスのターミナル等でよく売られている。価格は150クワチャ(約50円)とかなり割高だ。樹脂原料は輸入だが、ボトルの成形自体は国内で行っているとのこと。そのためか、デザインも何となく野暮ったい。

缶飲料は国内では生産されていない。缶入りのCokeやCoke Lightはガソリンスタンドなどで買えることがあるが、南アフリカ共和国からの輸入品なので500クワチャ以上(170円以上)と庶民には手が出ない(ガソリンスタンドに用事があるのは大抵金持ちなのだ)。写真は首都のスーパーマーケットで購入したもので、隣国モザンビークからの輸入品。要冷蔵の表記はポルトガル語(REFRIGERANTE)なのに、「SOFT DRINK」は英語なのが面白い。もしかしたらSADC(南部アフリカ開発共同体;アフリカ版EUのようなもの)あたりの取り決めがあるのかもしれない。

 

「一日一ドル以下」で暮らす方法

冒頭で、マラウイは平均すると1日1ドル以下の生活をしていると書いた。これは統計上正しい。でも、1日80円で暮らすなんて、本当に可能なんだろうか。一体どんな悲惨な生活?

たぶん、多くの方がアフリカに対して抱いているイメージは、続く干ばつ、ガリガリに痩せた子供たち、餓死…といったところだろう。確かに、そういう時期もあったし、そういう地域は今でもある(最近なら、ケニアとかソマリアとか)。でも、アフリカの多くの地域はそうではない。栄養バランスとか、そういう細かい話を置いておけば、「1日1ドル以下」でも、とりあえず満腹になることはできる。なぜか?

簡単なことだ。自給自足だからだ。

マラウイでは雨期の始まりとともにメイズ(トウモロコシ)の種を蒔く。そして雨期が終わる頃には、1年分の収穫が得られる。良い種や化学肥料を買うにはそれなりのお金が要るが、それらがなくても収穫が無くなるわけではない。収量は減るが、ある程度は育つ。

運良く豊作となり収穫が余ったら、それを売って現金に替えることもできるが、メイズのまま他の物品と物々交換することも少なくない。この場合、収入はGNIなどの統計には現れてこない。もっともそれ以前に、戸籍制度すら無いこの国で、農家の収入を正確に知る方法など、どこにもないのだけれど。

そして乾季には、おじさん達は特にすることもなくブラブラしている(そんな時でもお母さんたちは忙しそうにしているのは、世界共通の風景)。少し工夫して乾季に農業をやれば間違いなく儲かるのだけれど、そうする人はとても少ない。日本人から見ると、彼らはとても欲がない。

そんなわけで、「1日1ドル以下」=「貧しい」とそう単純には言えないというのが、アフリカで暮らしてみた実感だ。そこにはいろんな不確定要素がある。統計が信用できない。自給自足。物々交換。たぶん彼らには、お金よりも大事なものがたくさんあるのだろう。

一方マラウイでは、医療や教育を受ける機会が限られることで、摘み取られていく未来の希望もたくさんある。日本人として生まれ、学校にも行かせてもらい、お小遣いでコーラが好きなだけ飲めるのはこれ以上なく幸せなことだ。それだけは忘れてはならない。だが、いつも呑気なマラウイの人々を見ていると、幸せとは何か、豊かさとは何かが、どんどん分からなくなっていってしまうのである。