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コーラ津々浦々 / 沖縄・国道58号線バス旅行編
中本 晋輔

歴史の荒波に揉まれながらも外の様々なものを吸収し、独自の文化を花開かせた「国」沖縄。その魅力は訪れた人々を虜にして止まない。中でも「食」に関して沖縄は大陸や九州・アメリカなどの要素を高度に融合し、泡盛やちゃんぷるー、ソーキ等の他の地域には無い食品を数多く作り出した。また清涼飲料でも沖縄は特異で、沖縄でしか手に入らないジュースは結構多い。今回のコーラ津々浦々はそんな魅力溢れる沖縄・本島を、コーラをテーマにした散策をしてみた。

散策といっても、沖縄本島はでかい。面積にして約1200km2、淡路島の約2倍だ。また沖縄は現在日本で唯一鉄道の無い県としても有名で、完全な車社会。免許もなく、タクシーに乗る金もない私が今回移動に選んだのは路線バスであった。これで那覇から目的地・満座まで道なりに沖縄を観光し、なにか面白そうなものがあればすばやく降車ボタンを押す、という全然優雅じゃない旅をしようというのだ。

そんなアバウトな計画の私が那覇に降り立ったのは99年の記念すべき始めの日、1月1日だった。世間では「一年の計は元旦に云々」と言うようだが決行日に特に深い意味はない。単にスケジュール的な問題である。沖縄というだけで「青い空!白い雲!」みたいなイメージを抱きがちだが、この日はあいにく小雨の混じる曇空。なんだか歓迎されてないような気分ではあるが、めげずに最初の目的地・国際通りへと向かう。

国際通り ご存知国際通りは那覇市の中心に位置する繁華街で、沖縄らしい小物屋や土産物屋、米軍払い下げ品の店などの連なる観光スポット。しかし小腹の減っていた店には目もくれず沖縄料理店(店名忘れた)に直行した。家庭的な店の一角に座りラフテーとソーミンチャンプルを注文してみたものの、待ってる間どうしても壁際の泡盛の瓶が気になる。時刻は昼前、いろいろ考えた末に泡盛「南風」を追加した。手酌で泡盛を飲みながらラフテーをほおばる私はその時、どこから見てもただのおっさんであったに違いない。めっちゃ旨かったけど。

ガソリン満タンですっかり上機嫌になった私はしばらく国際通りをうろつくことに。何軒か土産物屋に立ち寄ってT-Shritを見たり凶悪に甘い沖縄特産の菓子「ちんすこう」を試食したりしていると、突如「紅芋アイス」とかかれたのぼりが目に飛び込んできた。沖縄のアイスクリームチェーン「ブルーシールアイスクリーム」のスタンドである。早速紅芋アイスをゲットする。うむ、確かに紫色だ。味はこめかみに来る強烈な甘みの中にも紅いものまろやかな甘みがあって、なかなかの美味。ややアメリカンテイストだがお奨めの一品であった。

はじめから飛ばしすぎた感もあるが、とりあえず当初の目的であるバスに乗ることにする。バス停「国際ホテル前」で待つこと数分、20系統のバスがクラクションを響かせてやってきた。元旦だけあって乗客は私とおばあちゃん二人の計3人といういささか寂しい車内で私はバカな小学生のように左最前列の窓側席を陣取った。やはり見晴らしは良いに越したことはない。

バスは停留所で人を拾いながら国際通りを西へと進む。車内が少し賑やかになってきたころバスは「那覇バルターミナル」を経て今回の旅のメイン、国道58号線へと入った。車窓からはどこか日本ばなれした町並みが見える。しかしこのとき私に第一の危機が訪れていた。眠い!眠いのだ。暖かい車内、適度な振動、美味しい昼飯と泡盛、そして昨夜の無意味なカウントダウン。眠くなる条件はこれ以上ないほど整っていたのだ。

抵抗空しく生理的欲求にあっさりと屈した私が目を覚ましたとき、景色はすっかり変わっていた。緩やかなカーブを描きながら伸びる国道28号線の左側にはフェンスと植え込みが続き、その隙間から時折無機質な建物が姿を見せる。アメリカ軍キャンプ・キンザである。道路の右側に続く普通の町並みから道路一本隔てて存在する巨大な軍事施設はあまりに不自然で、寝起きなりに沖縄の背負う歴史の重さみたいなものを感じた瞬間であった。

スイートキッス 米軍キャンプを過ぎるてしばらく行くと右手に突然看板が見えてくる。「沖縄チェリオ→」。しばらく「沖縄にもチェリオあるんや・・・。」などとぼーっと考えていたが、今回の旅の趣旨を思いだし慌てて降車ボタンを押す。しかし丁度停留所を通りすぎたばかりだったバスはなかなか止まらず、車の少ない国道を気持ちよさそうにどんどん進む。だーっ!これだからバスはっ!私が次のバス停「牧港」に降り立った頃には看板は遥か後方に見えなくなっていた。バス停近くの自販機で買ったJoltを飲みながらしかたなく今来た道を引き返す。

10分くらいで看板に到着、矢印にしたがって横道に入る。人のまばらな住宅街を進んでいくと、壁にふるぼけた「スイートキッス」のロゴの描かれた食堂を見つけた。沖縄ではCoca-ColaやPepsiのロゴを直接店の壁に描いてあるのをよく見かける。それが雨風で傷んできて独特の趣を醸し出していることも多いのだが、「スイートキッス」のものはかなりレアだ。さすが沖縄チェリオ、恐るべし。

コーラはペプシ しばらく行くとまた看板が。「←沖縄チェリオ」。なんだかオリエンテーリングしているみたいだ。矢印に添ってまた歩いていくと一軒の駄菓子屋に行きあたる。それはどこにでもあるような昔ながらの駄菓子屋だったが、私の興味を引いたのは前に置かれた木のベンチだった。かなり古いもののようで、単色に塗られた背もたれには「コーラはペプシ」のシンプルで強気な宣伝文句が踊る。沖縄は古くからペプシとコカ・コーラとの激しい戦いが繰り広げられた場所であり、おそらくこのベンチもそんな中で作られた尖兵の一つなのだろう。そういえば昨年のサントリーとの提携で本土でもペプシとコカ・コーラの本格的な戦いが始まったが、今年のCMのキャッチは「Cola is Pepsi」。清涼飲料の文化では我々は随分と沖縄に遅れをとっているのかもしれない。

そのすぐ先に沖縄チェリオの工場はあった。とりあえず中をのぞく。と、そこには「CHANGE IT FOR チェリオ」とでかでかと書かれた巨大なタンクが!どうやらここが沖縄のチェリオ製造を一手に引き受ける工場らしい。「見学できないかなぁ」などとちょっと思ったが、本日は元旦なので当然お休み。そのうえ入り口の自販機に「Byg Cola」の姿は無く、とりあえず写真だけとって引き揚げることにした。

チェリオ工場

戻ってしばらく待ってみるも、バスが来ないので58号線沿いをとりあえず歩くことにした。あいにくの曇空であったが気温はそれほど低くなく、散歩を楽しむには・橋を渡ってしばらく行くと、右手に見事な刈込みが見えてくる。A&W、いまやどの沖縄観光ガイドにも掲載されているファーストフードレストランである。かなりアメリカ的なテイストがウリで、中でもカーリーフライとルートビアは他ではなかなか食べられないレア・メニュー。特にルートビアはコカ・コーラより長い歴史を持つ現在では貴重な清涼飲料だけに、ドリンクフリークを自称する者なら絶対押さえておきたい一品だ。日本人受けする味では無いが。で、私はというとまだ腹がいっぱいだったので、大阪にA&Wがある事を神に感謝しながら先を急ぐことにした。

沖縄ペプシ販売 さらに20分ほど歩くと左手に旧ペプシのマークの入った建物が見えてくる。正面に周ってみると「沖縄ペプシコーラ販売株式会社」であることが判明。看板のマークが日本ではあまり使われない紺碧のペプシマークであるのが渋い 。しかし沖縄にはペプシの販売を専門に扱う会社まであるのか。サントリーは何をしているのだろう?この建物のちょうど前がバス停「大山」だったので、ここでしばらくバスを待った。一度はアピール不足でバスに素通りされちょっと悲しい気分になったが、次来たのバスを何とか止め旅を再開した。

バスは58号線を快調に飛ばし、北谷(「ちゃたん」と読む)町にさしかかる。ガイドブックによるとこの辺りは「アメリカっぽいお洒落な店が並び、ホットな雰囲気が漂う」地域で、国道沿いにもインポートマートらしき店が何件か見える。しかし悲しいかな本日は1月1日ということで店はほとんど閉まっており、人影もまばら。そのままバスに居座り、一路北へ向う。「軍病院前」や「航空隊入口」などのいかつい名前の停留所を過ぎ嘉手納町に差しかかった頃、第二の危機が私に訪れていた。も、猛烈にトイレに行きたい!このままバスで旅を続ける予定だったがこの際背に腹は変えられない。急遽嘉手納で下車した私は、やや内股気味になりながらも途中に見えたファミマへ飛び込んだ。ありがとう、ファミマ!ビバ,ファミマ!

比良商店 用を足し終えこれ以上無い開放感と安堵感を味わいながら改めて嘉手納の町を歩いてみる。買い物をしようと店を見て歩くも、町は正月独特の不思議な沈黙に包まれていた。商店街の店にもほとんどシャッターが降りていて、謹賀新年の派手なポスターがあちこちに貼られている。めげずにしばらく町を歩く、と、国道沿いに一軒の商店「比良商店」を発見した。開店しているのか分からないような薄暗い店内を覗き込んでみると、ディスプレイの中に見慣れないコカ・コーラのボトルが並んでた。手にとってよく見るとそれはペットボトルで、缶と同じ350ml入り。存在意義に疑問を感じながらもとりあえず2本ゲット。後から分かった事だがこれは3月より全国発売となった通称「ポケットボトル」と呼ばれる新規格ボトルで、沖縄は全国に先立って試験販売されていたものらしい。予想外の収穫を鞄に詰めながら私は再度バス停へと向かった。

バスはさらに北へと向かう。嘉手納を過ぎると車窓からの景色は一変し、右手に熱帯の原生林が姿を見せはじめた。なんとも南国らしいのどかな光景ではあるが、実はこの林、米軍の沖縄最大の拠点・嘉手納基地の弾薬保管施設なのである。現地の人に聞いたのだが、朝鮮戦争の頃には核兵器が持ち込まれたらしいとか。私は沖縄の人間ではないので米軍問題について何も言える立場にはないが、いち観光客としてなにかしら違和感と不快感を憶えずにはいられなかった。

恩納共同売店 広大な米軍基地を過ぎると景色は本格的な田舎のものになる。いつの間にか2車線になった58号沿いには住宅や個人商店,そして時折巨大なリゾートホテルが姿を見せる。この辺まで来ると乗客も随分減り,バスも心なしかのんびり走っているように感じられる(そんなことはないと思うけど)。しばらくバス旅行の醍醐味を堪能した後,ふらりと「恩納村役場前」で降りてみた。雲の切れ間から日が差し込んでなかなか心地が良い。見ると道路の向かいにかなりいい感じの商店「恩納共同売店」があるので,とりあえず立ち寄ってみることにした。

薄暗い店内には様々な生活用品がやや雑然と積まれており,どこか万屋的なイメージを受けた。壁ぎわの冷蔵棚にも様々な缶が無造作に詰め込まれていて,その半分くらいは私にとって未知のものであった。沖縄は清涼飲料の独自色が強いとは聞いていたが,まさかここまでとは。残念ながらコーラは発見できなかったが,「水出しバイオ茶」というラディカルな名前のお茶に引かれ思わず購入してしまった。

気持がよかったので,そのまま北へ歩き続ける。この辺りから左手に沖縄の海が見えはじめ,はじめてリゾート気分に浸ることができる。途中いい感じの個人商店に立ち寄り,賞味期限を2か月も過ぎたペプシのクリスマス缶(97年版)を発見してビビッたりしながらも小一時間歩き,目的地万座毛に到着した。しめて4時間半,なかなか面白い旅であった。


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