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![]() 中本 晋輔 「砂糖はなぜ甘いのか?」という素朴な疑問に対し、近代科学は非常に面白くない回答を示している。「甘くないと感じた種族は滅んでしまったから」。つまり砂糖のようなエネルギーの高い食べ物を甘い(=美味しい)と感じて好んで摂取した種族だけが、厳しい生存競争に生き残ることができたという理屈である。 何だか騙されているような気もしないでもないが、確かに砂糖のような高カロリー食品を好んで食べる生物がそうでないものに比べ有利な立場にあった事は間違いない。しかし人類の発展とともに大量の食料が供給されるようになるとカロリーは昔ほどの意味を失い、逆に過剰なカロリーが健康を蝕むような事態が起こりはじめた。ここに来て人間は今までの進化の過程では考えられない嗜好、つまり「美味しくて低カロリー」を持つに至ったのである。今回の甘味料概論はそんな「不自然な嗜好」から生まれた人工甘味料についてのお話である。 では甘くて低カロリーなら何でもよいかというと、そういう訳にはいかない。例えばダイナマイトの原料であるニトログリセリンは甘味があるため戦後の食糧難の時代には甘味料として使用され、多くの中毒者を出したという。このような例もあって各国の政府は人工甘味料の認可に非常に慎重で、厳しい法的規制を設けているところも少なくない。法律の話はとても難しいのでここでは割愛するが、これとは別に化学者(開発者)サイドからの自主目標的なものも存在する。言うなればロボット三原則みたいなものなのでここでは「人工甘味料五原則」と呼ぶことにしよう。 人工甘味料は:
などとまあこんな感じなのだ。2と3がどう違うかなど疑問がないわけではないが、この5つの条件を全てクリアするのは結構難しい。5項目全てを満たすものはごく限られた一部の化合物だけなのである。 1. 偶然から生まれた甘味料・サッカリン
この画期的な甘味料がこれほど広く受け入れられた理由は先に述べた「低カロリー指向」であるよりむしろ価格の安さにあった。微量でも十分な甘さが確保できるサッカリンは砂糖に比べずっと安上がりな甘味料だったのである。しかし1960年代に入りライフサイエンスがその黎明期を迎えると、人々は食品添加物の危険性、特に発癌性に対し過剰なまでに反応するようになった。当時は癌に対する情報や理解が不足しており、発癌テストが陽性のものは全て排除しようというパニックじみたものに発展する。サッカリンも例外ではなく食品衛生法により73年11月に全面禁止となってしまった。ところが1ヶ月後食品別の使用基準が制定されるとサッカリンはあっさり再認可されたのだ。何という引きの強さ。危機一髪、無期懲役で服役した一ヶ月後に恩赦がでたヤーさんみたいなもんである。(最近の研究でサッカリンは膀胱癌のイニシエーターであり、プロモーターが存在しないと発癌性を示さない事が報告されている) 現在ではサッカリンの改良版として、NaOHで中和したサッカリンナトリウムというのがよく用いられる。これはサッカリンに比べ水に溶けやすく使いやすいため、多くの駄菓子系コーラ(ポリエチレンチューブに入った30円くらいの奴。駄菓子屋によくある)の甘味料として使用されている。またアメリカではTaB Cola(TaB Clearのオリジナル)の甘味料としてサッカリン(93.6mg)が現役で活躍している。 2. 幻の砂糖代用品・チクロ
チクロはズルチンとともに戦後間もない日本で貴重な甘みとして広く使用された。最盛期には砂糖換算で30万tもの生産量を誇ったチクロであるが、60年代に入るとサッカリン同様発癌性の疑いをかけられ、1970年には全面的な使用禁止の憂き目にあう(ちなみにこの時コカ・コーラは加山雄三を起用して「コカ・コーラにはチクロは使用していません」というプロモーションを行っている)。その後の使用基準の整備でも認可は下りず現在も使用が禁止されたままである。しかしその後の米アボット社の徹底した安全基準の研究でチクロの毒性は考えられていたよりずっと低いことが明らかにされている。法律上チクロはいつ復活してもおかしくないのである。 3. 60年代のニュースター・アスパルテーム(APM)
アスパルテームは1966年にG.D.サール社の研究者・James Schlatterにより発見された。発見といってもこの化合物自体は以前に他の化学者によって合成されていたのだが、その時は有効な利用法が見つからず忘れられていた。Schlatterはガストリンの研究中その中間体としてアスパルテームを得、幸運にもそれを机の上にぶちまけた事からこの化合物が砂糖に似た柔らかい甘みを持つことを発見したのだ。しかしなんででみんな自分の試料を舐めるかなぁ? フィーザーの「有機化学実験」(原書6版)にも「未知物をなめるな。一度臭いをかぐだけに止めよ」と書いてあるのに・・・。
もう一つの欠点はアスパルテームが添加物として不安定であるという点である。コーラをはじめ我々が目にする清涼飲料の殆どが酸性で、そのような条件下ではエステルは容易に加水分解されてしまう。我々の舌はこのような僅かな構造変化に非常に敏感で、エチル基を失ったアスパルテームは甘みを示さなくなる(最近の研究でアスパルテームは最終的にジケトピペラジンとメタノールに分解される事が明らかにされた)。賞味期限の迫ったDiet PEPSIを飲んでみると全く味がしないのは、実はこういった理由からなのである。 4. 欧州を席巻する新甘味料・アセサルフェ-ムK
アスパルテームの発見から間もない1967年、独Hoechst社の研究者・Karl ClauBは実験中自分の指が妙に甘いことに気付いた。繰り返しになるが研究者の方は決して自分のサンプルを舐めないように。彼は指に付着していた化合物を同定し、それが
5,6- アセサルフェームは砂糖の約200倍の甘さがあり、甘味質が柔らかで後に残らないという甘味料に適した性質を持つ。アスパルテームと違って酸性・高温条件でも変化しにくいので、炭酸飲料のほかクッキーなどの焼き菓子にも利用できる。また毒性試験の結果、発癌性を含む全ての条項で安全性が確認されている。その上アスパルテームより価格が低いため、広い範囲での応用が期待できるとして注目されている新鋭人工甘味料である。唯一の弱点は、ほんの少しながら口に苦みが残る事。ちなみにある甘味料の本には「名前が化学品的でイメージが悪い点が欠点」とあるぞ(笑)。 5. 砂糖への飽くなき挑戦ではカロリーの低いDiet PEPSIがあるのに何故PEPSIの方が売れているのだろう?「ボトルキャップが付いてくるから!」というのも理由のひとつかもしれないが、主な理由はやっぱりPEPSIの方が美味しいということだろう。安くてノーカロリーと良い事尽くめに思える人工甘味料だが、味質に関しては砂糖をはじめとする糖類に歯が立たないのが現状である。例えばサッカリンは濃くなると味にえぐみが出るため、0.2mMあたりが使用限界と言われている。Diet PEPSIの味も砂糖の味わいと比べると随分軽くて薄っぺらい印象を受ける。何千万年もの進化の歴史に裏付けられた糖類は、そう簡単には新参者にその座を明け渡さなかったのである。
この保かにもブレンドに関する研究は、結果が売り上げに直結しているだけにかなり盛んに行われているようだ。例えばDeiseらは4つの甘味料について混合方程式を立て、それに基づいてそれぞれの比率を補正する事により味質が大幅に改善されることを報告している。これらの研究は今後も行われていくであろうし、いずれは砂糖を超える「黄金比」みたいのが発見されるかも知れない。頑張れ、研究者の皆さん! さて次回は甘味料概論最終回・天然甘味料編。日本でもすっかりお馴染みになったステビアや世界で最も甘い物質・ソーマチン等天然に存在する糖以外の甘味料を一挙公開する予定である。それではまた四季報・10月号でお会いしましょう!(って10月ってモロ学会前やん。とほほほ・・・。) ■参考文献
[四季報 1999年7月号] [コーラ白書] [HELP] - [English Top] Copyright (C) 1997-2000 Shinsuke Nakamoto, Ichiro Nakahashi. |