コーラ白書
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コーラ津々浦々「鉄道とソーセージとビールとコーラ」

フランクフルト再び

翌日美しき湖畔の街Konstanzに別れを告げて同じルートでフランクフルトへ戻る。来るときに一度乗っているので今回は心に余裕が出来て、純粋に列車の旅を楽しんだ。隣で嫁がスーパーで見つけたオカキを食む音を聞きながら、車窓からの眺めを楽しむ。やはり私の体内には少なからず鉄分が含まれているようだ。

OffenbergでICEに乗り換えて、夕方にはフランクフルトに到着した。余談だがICEの座席は高級すぎるのかどうも私の体型に合わないようで、いつも背中が痛くなる。

初日のSteigenberger Metropolitanに再度チェックインした後、部屋に荷物を置いてホテル周辺の探索に出かける。日本でターミナル駅の周りといえば街の中心だが、フランクフルトの繁華街はもう少し東にあるようで案外寂しい雰囲気。ガイドブックにも「***通り(駅前の一番大きなとおり)は日没後治安が悪くなる・・・」なんて書いてある。駅前に並ぶのはホテルがほとんどで、デパートなどはない。

先も述べたようにドイツにはコンビニ文化がなく、Kioskと呼ばれる個人商店が残っている。Kioskの多くは酒屋やバー・インターネットカフェなどを兼ねていて、ちょっと入りにくい雰囲気のところも多い。ドイツの皆さんはどこで公共料金を支払っているのだろうか?

ホテルの2件隣のKioskも一階が酒屋、2階がインターネットカフェになっていた。それほど広くない店内を見回すと、ドイツでは珍しいコカ・コーラの缶を発見。細身の缶なの250ml缶かと思ったが、良く見るとそれより一回り大きい。

コカ・コーラの新型缶(左)と、ペプシの記念缶(右)。どちらも容量は330ml

どうやらこの缶は、コカ・コーラが独自に採用する新フォーマットらしい。容量は330mlと従来のヨーロッパスタンダードだが、細長い分スマートな印象を与える。Coca-Colaだけでなく、Coca-Cola LightやZeroでも同じパッケージが採用されていた。

またこのKioskではPEPSIの缶も扱われていた。あまりに影が薄いので、おとうさん心配になっちゃったよ。PEPSI とPEPSI Lightの2種類があったが、どちらもサッカーの記念缶なところが哀愁を誘う。ワールドカップ、終わっちゃいましたけど・・・。

PEPSIといえば、フランクフルト駅の売店のひとつでPEPSI Wild Cherryを発見。ドイツにもあったのかと飛びついたところ、アメリカからの輸入品であることが判明。ただ最新の缶を持っていなかったので、仕方なく日本につれて帰ることにした。容量は明らかに354ml(12オンス)なのに、その上から「330ml」のステッカーを貼る強引さには感動した。見習いたいものだ。

コーラ影なし!

最終日はフランクフルトの街に観光に出かけることにした。普段なら最終日は「コーラの日」で片っ端からスーパーやコンビニを回るのだが、今回は前半から飛ばしすぎた結果すでにかなりの量のコーラが集まってしまっていたのだ。またコカ・コーラが圧倒的優勢を占めるドイツの市場で、これ以上ローカルコーラを見つけるのも期待できそうにない。

ショートケーキのような現代美術館に立ち寄ったり、Zeil通りで偶然開催されていた農作物フェア(みたいなの)を見て回ったり、デパートKaufhofでデロンギのトースターを眺めて「かっこいいけど絶対つかえへんよなぁ」と思ったりしているうちに、もう時刻は3時を回っていた。どこかの屋台で焼きソーゼージと食べようと思いつつ食べそびれていた我々は、デパートの食堂で遅めの昼食を取ることにした。

Kaufhof のレストランはカフェテリアスタイルで、好きなものを取って最後に会計をすませるタイプだった。ここでもやはり炭酸飲料はコカ・コーラ社が入っていて、専用のディスペンサーコーナーがあった。ドイツでも日本と同じくレモンをコーラに入れる習慣があるようで、レモンの輪切りの入ったジャーが置いてあったのが興味深い。でも折角ならオレンジも用意してほしかった。

ディスペンサーとは別に飲料棚もあって、こちらにはワインやミネラルウォータなどが並んでいる。その中にCoca-Cola Zeroのコンツールボトルを発見。割高だったけど珍しかったのでこちらを飲むことにした。お会計のところで「王冠ください」といったらびっくりされた。

カフェテリアでしばらくフランクフルトの景色を楽しんだあと、ホテルに戻ることにした。もう少し観光してみたい気持ちもあったが歩きどおして疲れていたし、何より大量のコーラをカバンに詰める作業が残っている。路面電車で帰ろうかとも思ったが旧市街周辺の町並みに惹かれ、歩いてかえることにした。

afri-colaと看板屋のオヤジ

石畳の路地を歩いていると、左手に不思議な店を見つけた。看板屋とでも言うのだろうか、昔の広告を看板に加工したものを所狭しと並べてある。Jack Daniel やGuinessエンブレムプリントしたホーロー引きの看板は、エンボス加工までしてあってずいぶん見栄え良く出来ている。

看板屋

店の前の籠にはA3サイズの平面の看板が詰め込まれていて、中にコカ・コーラのロゴが見えた。看板といってもオリジナルではなく、後から加工したものだ。あくまでお土産の閾を出ないレプリカだろうと、あまり期待せずに看板を一枚ずつめくっていった。

最後から2枚目で手が止まった。コカ・コーラの中に、一枚だけafri-colaの看板が混じっていたのだ。ヒッピーのような姿の女性二人の写真で、キャッチコピーも見たことないものであったが、濡れたガラス越しに撮影する手法は間違いなく昔のafri-colaのものだ。

よほど見入っていたのだろうか。顔を上げると、カウンター越しに看板屋の店主と目が合った。赤髪で背が高く、派手めのオープンカラーシャツが似合うオヤジだ。

「そいつは23ユーロだ」 流暢な英語だった。

afri-colaのものを探していることを伝えると、奴はちょっと意外ような顔をしたが

「afri-colaは正真正銘のドイツのもんだからかな。」

とにやりと笑った 

「いいものを見せてやるよ」とオヤジは棚から2枚看板を取り出した。さっきのものより一回り小さく、エンボス化工が施されたものだ。ひとつは修道尼を濡れたガラス越しに撮った有名な作品。そのシスターたちの物憂げな表情は、未だにどきりとさせられるほどのインパクトを宿している。もう一枚は更に古い年代のポスターのレプリカで、見慣れないガラス瓶と椰子の木が描かれている。こちらは各20ユーロだった。

「このフィルム(テレビコマーシャル)は本当にいい出来だった」

聞いてもいないのにオヤジは尼僧の看板を指して、懐かしそうに語りだした。

「68年頃だよ。凄いインパクトだったんだ。でも当時は尼僧をこんなふうに使うのはタブーで、色々と問題になってね・・ それで70年代にこっちの尼僧を使わないバージョンに切り替わったんだ」

私がはじめに見つけた看板がその切り替え後のバージョンらしい。こちらも刺激的ではあるが、確かに尼僧をつかった件の看板にくらべると無難にまとまっている感がある。

私は自分がコーラの研究をしている事を伝え、afri-colaがどこで買えるのかを尋ねた。オヤジはちょっと思案したあと、「せがれに聞いてみる」と電話をかけ始めた。

しばらくドイツ語でやり取りをしたあと受話器を置いたオヤジは、この周辺で扱う店はないかもしれないと言った。今でもガソリンスタンドなどでは売っているらしいのだが、昨年の条例で街の中心からガソリンスタンドが一掃されてしまったとのこと。

彼は一番近いガソリンスタンドへの道を教えてくれたが、とても歩いて行ける距離ではなかった。確かにKonstanzでもafri-colaを扱っていたのは郊外の植物園のカフェテリアだけだった。異端なコーラだけに、街のはずれのガソリンスタンドにしかないという話には妙にリアリティがある。

調べてくれたことに感謝を述べ、看板を買うことにした。レプリカではあるが、歴史的背景が分かれば十分資料としての価値はある。試しに、3枚買うからディスカウントしてくれと頼んでみると、

「20年同じ値段でやってるんだ。値段は下げたくないんだが、それぞれ1ユーロづつなら引いてもいい。それが俺の気持ちだ」

と茶目っ気を込めたウィンクをくれた。20年〜というのは怪しいが、そこを突っ込むのは野暮というものだ。現地の人からAfri-colaの話しを聞けたこと、そしてドイツでこの粋なオヤジに出会えたことに感謝しつつ、看板を引きずりながら夕暮れの街をホテルへと急いだ。

 

→おまけ 中本家、ドイツ旅行中のごはんを一挙公開!