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長引く不況の中でプライベートブランド(PB)と呼ばれる商品が注目されている。 小売業者が企画しメーカーに製造委託して作られるこのPB(註1)は従来のメーカー品(ナショナルブランド:NB)に比べ価格が安く、いまやNBを脅かす存在にまで成長した。そしてコーラに関しても例外ではなく、コカ・コーラやペプシなどのNBより廉価なPBコーラが数多く販売されるようになった。 今回は時代の象徴的存在、プライベートブランド(PB)コーラについて考えてみたい。 PBコーラの黎明期(60年代)プライベートブランドという概念が世に始めて登場したのは19世紀。しかしコーラがPBに登場するのは、コーラの市場が成熟した1960年代の北米と考えられる。コカ・コーラやペプシ、ロイヤルクラウンが凌ぎを削るこの市場で、いくつかの小売業が自社ブランドのコーラを模索し始めた。 北米最大のスーパーマーケットチェーン、IGA(Independent Grocery Alliance)は、1960年代に自社ブランドのコーラ「IGA COLA」を発売している。原材料にコーラナッツ抽出物を使った本格的なコーラで、これは当時のコカ・コーラの処方に合わせたものと考えられる。
70年代に入ると数多くの小売業がPBコーラ市場に参入した。セブンイレブンのような大手から、CONVENIENT FOOD MART(ケンタッキー州)やSHORT STOP(カリフォルニア州)などの小規模なものまで、様々なリテーラーが自社PBコーラを扱っていた。珍しいところではホテルチェーンのHOLIDAY INNも自社のロゴ入りコーラを販売していた。 このように北米の黎明期は様々なPBコーラが乱立した時代だったと考えられる。
本格的PB時代の到来(80年代〜)70年代後半には欧州や北米で小売業の上位集中が進み、各社が規模を生かしたプライベートブランドを積極的に開発した。利益率が高く、市場を数社のメーカーが独占するコーラはP格好のマーケットであり、多くの企業がPBコーラを導入した。 イギリスの食品小売業大手TESCOは80年代にTESCO Sparkling Colaを発売。赤とグレーのシンプルな2色印刷のパッケージは、いかにもコカ・コーラの代替品という印象を与える。これはこの頃の欧州PBコーラに共通する傾向で、非常にシンプルなデザインのものが多い。 80年代のPBコーラの価格に関する詳しい記録は残っていないが、当時のPBの状況から鑑みてNB(つまりコカ・コーラ)の30〜50%程度安い価格で販売されていたと考えられる。ちなみに92年の時点で、WalmartのPBコーラ「Sam’s Choice Cola」(現Sam's Cola)は1本$0.40。当時のコカ・コーラが350ml缶が$0.65だったので、40%ほど安い価格設定ということになる。 車で買い物をすることが多い北米ではPBコーラの大型パック化が進んだ。1缶単位での販売からシックスパック(6缶)、ケース(24缶)が主流となり、それに伴い価格はさらに低下した。 92年ごろの記録であるが、先述の「Sam’s Choice Cola」の1ケース(24本)での価格は$4.50。1缶当たりの価格は20セントを切る。 この大型パック化は北米市場で定着し、現在ほどんどのPBは6パック以上での販売になっている。90年代にはWalmartの店の前に必ずPBドリンクの自動販売機があったのだが、最近は設置されていない店舗が多くなった。
現在の海外の代表的なPBコーラを以下にまとめた
ペプシも標的にコーラは消費者のブランドロイヤリティが比較的高い商品である。コカ・コーラ派は容易にペプシに移行しないし、その逆も然りである。 PBコーラは最もシェアの高いNB、つまりコカ・コーラをターゲットに作られてきたが、ペプシのファンに対しては効果的な訴求が薄い。このためペプシのシェアが高い地域では必然的にペプシの代替品としてのPBが開発されるようになった。 カナダを拠点とする食品小売業大手のLOBLOWSはPB「President Choice」にコーラを5種類ラインナップしている。そしてそのうちの2種類は対ペプシのPBとして開発されたものだ。「NEW WAVE COLA」と呼ばれるこれらの商品はパッケージを青系で統一し、フレーバーをよりペプシに近付けてある。ウェブサイトには「If you're a fan of Pepsi Cola, we urge you to try this product!」と、そのコンセプトが明記されている。 またオーストラリアの食品スーパーColesが販売するColes X-tra ColaはPEPSI MAXを狙って作られたPBコーラだ。PEPSI MAXは日本のNEXやCoca-Cola Zeroと同じフレーバー強化型のダイエットコーラで、同国で人気が高い。 ちなみにColesのPBダイエットコーラは2種類ある。よりフレーバーの柔らかなColes Lite Colaをdiet Cokeの代替品としてポジショニングしており、同社のしたたかなPB戦略が伺える。
日本のPBコーラ 〜乱立の90年代〜海外に比べ日本のPBコーラの歴史は浅いが、2度のPBコーラブームを経て急激に市場が成熟した。 PBコーラが日本に初めて登場したのは80年代と考えられる。ジャスコグループは自社の輸入食品ブランド「World Eye」で北米SafewayのPBコーラ「Cragmont Cola」を販売。当時珍しかったカフェインフリーで、価格は68円に設定された。またイトーヨーカドーも自社で輸入したコーラを78円で扱っていた。当時NBが100円だったことを考えると当時のPBコーラは「ちょっと安い」程度の価格設定で、それほど注目される商品ではなかった。 日本のPBコーラに第一の転換期が訪れたのは1990年代の前半。バブル崩壊による景気の悪化が浸透し「価格破壊」が流行語となった94年頃、PBコーラの一大ブームが巻き起こったのだ。小売業から商社、外食産業までがこぞって自社ブランドのコーラを扱うようになった。 その代表的な存在がダイエーのCola from U.S.A.だ。「日本の物価を半分にする」を社是とする同社が94年に発売したPBコーラの価格は350ml缶で39円。従来の約半分という価格設定に各社が追従し、PBコーラの価格は大きく下がった。 大手スーパーではダイエー・ニチリウ・CGC・西友など、コンビニではローソン・ファミリーマート・サークルKなどがPBコーラを販売。またピザチェーンなどの外食産業までがPBコーラに参入した。当白書の登録分だけでも約20種類あるので、全体では50種類以上のPBコーラが登場したのではないだろうか。
当時のPBコーラは主に北米のPBコーラのパッケージを変更して輸入販売したものだった。このため参入障壁が低く、比較的小さな規模の小売業でも自社ブランドを持つことができた。国内PBコーラの多くが海外の同じPBコーラのリパックであったため、どれを飲んでも同じ味がしたのを覚えている。 この「個性のなさ」は、パッケージや商品名にも表れた。ほとんどの商品は赤をベースに、星や星条旗などのアメリカ的なデザインが採用された。また商品名も前述のダイエーCola from U.S.Aを始めAmerican Cola(ニチリウ他)やCola of America(ローソン)等、よく似た名前の商品が溢れた。 この「第一次PBコーラブーム」で、日本でもPBコーラが認知されるようになった。しかしこの当時のものは海外のPBコーラに相乗りしたものであり、小売業が企画・販売を主導するする本来のPBとは趣旨が異なる。この安易な導入の結果PBコーラ「安かろう悪かろう」のイメージが定着し、景気の回復に伴いそのほとんどが淘汰された。
規模のPB時代へPBコーラが2度目の転機を迎えるのは、2008年のリーマンショックに端を発する世界同時不況である。この「100年に一度の大不況」と呼ばれた状況で国内にはデフレ圧力が強まり、再びPBコーラに注目が集まるようになった(註2)。 九州を本拠地とするディスカウントストアのトライアルは自社PBコーラ「トライアルコーラ」を29円で販売。その圧倒的な安さで話題を呼んだ。またラ・ムー(大黒天物産)やベイシア(旧いせや)なども自社ブランド飲料を強化、30円を切るPBコーラを取り揃えるようになった。 これに対抗するかのように小売業大手のイオンは「ベストプラスバイトップバリュ コーラ」を2009年春にリニューアル。人工甘味料や海外製アルミ缶の採用でコストダウンを図り、価格を38円から29円に引き下げた。
90年代のPBコーラに比べさらに10円程度の価格下落が見られるが、地域によってはさらに価格競争が激化している。千葉県の八千代台ではトライアルとジャスコ(イオン)でコーラの値下げ合戦がおこり、最終的に1缶14円という驚異的な価格を記録した。この価格は海外を含め、PBコーラの最安値であろう。(→コーラ津々浦々 「突撃!八千代台」参照) 現在の国内小売各社のPBコーラの現状を以下にまとめる。(コーラ白書調べ レギュラーのみ 2010年3月現在)
※主に大阪と千葉のスーパーで2010年2月〜3月に調査。
また小売業大手PBがコーラに参入しないケースも目立つ。国内小売業の2強の一つ、セブン&アイは自社のPB「セブンプレミアム」にコーラをラインナップしていない。90年代に廉価PBを販売したCGCや西友も現在は静観中だ。PBコーラを持たないこれらのスーパーではLAS COLAや5 star colaなどの廉価NBコーラでカバーするケースが多い。 同時にPBコーラの「地産地消」化も進んだ。アメリカ産であった90年代のPBコーラに対し、第二次以降は国産のPBコーラの割合が増加している。特にトライアルやベイシアなどのアンダー30円コーラはほとんど国産であり、アメリカ製のPBに比べ値ごろ感が強い。この価格帯になると海外から輸送するより国内で大量生産するほうがコストが有利なのだろう。 北米のような「まとめ売り戦略」は今のところ見られないが、一部のリテーラーでは大型パッケージを導入する動きがある。キリン堂やローソンは350ml缶の扱いを取りやめ、1リットル以上のPBのみを販売している。また「ベストプライス by TOPVALU」で29円のコーラを展開するイオンも、その上位ブランドのTOPVALUで1.5リットルのコーラを取り扱う。 同じPBで近いサイズのコーラを併売するところもある。ラ・ムー(250ml缶+350ml缶)やベイシア(350ml缶+500mlPET)などがその例だ。このようなケースでは在庫リスクが増大する一方で消費者を混乱させる可能性があり、PB戦略としての有効性には疑問が残る。海外ではあまり見られない事例である。
国内のPBコーラ市場の変遷の図を以下に示す。 1994年にPBコーラが乱立した(第一次PBコーラブーム)後に一旦収束期を迎える。そして08年の景気後退に伴い、再度PBコーラがブレイク(第二次PBコーラブーム)し現在に至る。図に示すように、第一次と第二次では参入企業数や価格面で傾向が異なり、単なる景気循環によるブームではないことが分かる。 ※ リーディングプロダクトの価格(350mlまたは355ml缶) あるPBコーラの数奇な運命先に登場したCola from U.S.A は、この2度の変遷を生き残った数少ないPBコーラである。このコーラの波乱万丈な人生を振り返ってみよう。 Cola from U.S.AがダイエーのPBコーラとして登場したのは94年。39円という思い切った価格設定で、その後のPBコーラの価格のベンチマーク的な存在となった。発売当時はノーブランド扱いであったが、95年ごろにはPBブランド「セービング」を冠しSavings Cola from U.S.Aとなった。 翌96年にはPBコーラとしては珍しい、クリスマス記念缶をリリース。当時コカ・コーラが毎年クリスマス缶をリリースしており、それを強く意識したものと考えられる(註3)。この他にもホークス缶(97年)、ミレニアム缶(2000年)が存在し、ダイエーがこのコーラをNB並みに育てようとした心意気が伺える(→CCC ダイエー記念缶)。 ダイエーに産業再生法が適用された2004年以降もこのコーラの販売は継続された。この頃には500mlPET入りのバージョンが追加され、ラインナップの拡充がなされた。しかしこのPET版は日本製で、350ml缶のものとは全く別物のコーラであった。この両製品の差が十分に説明されないまま並行販売されたことで、いたずらにPBを分断する結果になった。 06年には「セービング」ブランドのリニューアルにあわせて名称から「from U.S.A」が外れ、晴れてSavings Colaとなった(500mlPETはこの時生産終了)。しかしイオンとの提携により08年に「セービング」ブランドが消滅すると、今度はCola from U.S.Aに変更された。奇しくもこれは94年に発売された時と同じ名前である。
その後イオンのPBコーラ「ベストプライス by Topvalu コーラ」にとって替わられるのかと思われたが、現在も一部ダイエー系店舗で「ダイエー企画商品」として生き残っている。しかしイオングループが2つのPBコーラを抱える必然性は低く、この養子のような立場で生き残れるかは微妙なところだ。頑張れ!
PBコーラのこれからプライベートブランドには4つの発展段階があるといわれている(註4)。すなわち 1. 低品質・低価格の代替品としてのPB(ジェネリック) 2. NBの模倣による品質の向上 3. プレミアムPBの本格的導入と成長 4. 低価格PBの再導入とPBの明確な階層化 である。現在欧州などのPB先進国では第4段階に、アメリカや日本も第3段階にあると考えられる。 しかしPBコーラに関しては、まだ第1段階に留まっているように私には感じられる。PBコーラが世に現れて40年が経つが、品質や差別化の点ではいまだNBに遠く及ばない。価格の安さのみで認識されたPBコーラからは、「安かろう悪かろう」のイメージはいまだ払拭されていない。 この原因はコカ・コーラとペプシが突出した技術力とマーケティング力、そしてブランドロイヤルティの高い消費者を持っているからだろう。いくらプレミアムPBを目指してもNBが常にその先を行き、消費者のロイヤリティを切り崩せないのならPBコーラはジェネリックに留まらざるを得ない。 この結果、PBコーラはPBの進化から取り残される。セブン&アイなど、PBのプレミア化を進める小売業の多くがPBコーラを扱わないのは、ジェネリックから抜け出せないコーラ飲料をすでに見限っているからなのかもしれない。
品質が向上しプレミア性を身に付けた大手小売業のPBブランドは、今後景気の動向に左右されずに成長していくと言われている。しかし今後その中にコーラがある保証はない。コーラ市場が祝食する中でPBコーラがどうなっていくのか、今後とも注目していきたい。
*参考文献 1.日本経済新聞出版社・編 プライベートブランド 「格安・高品質」 競争の最前線 (2009) 2.根本重之著 プライベート・ブランド -NBとPBの競争戦略- (1997)
(註1) 一部飲料メーカーで自社コーラを「プライベートブランド」と称する例があるが、今回の特集では小売業者が価格や数量・仕様を企画し、製造者に発注して販売する商品群をプライベートブランドと定義としている。なお、プライベートとナショナルが本質的に対をなしていない点に関して参考文献2がかなりのページを割いて検討しており、とても面白い。 (註2) 小売業大手が自社PBの拡充を積極的に進めたのはリーマンショック以前の07年ごろから。世界的な原材料高騰によるNBの値上げに対し、イオンやセブン&アイは自社のPBを強化し売り上げを伸ばした。国内有名メーカーの参加で品質が向上し、世界同時不況の頃にはPBは一昔前の「安かろう悪かろう」から信頼できるブランドへと成長していた。 (註3)ただハッドン・サンブロムの絵をアレンジしたコカ・コーラに対し、セービングの適当なイラストでは見劣り感は否めなかった (註4)参考文献2より。
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