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![]() 中本 晋輔 歴史の荒波に揉まれながらも外の様々なものを吸収し、独自の文化を花開かせた「国」沖縄。その魅力は訪れた人々を虜にして止まない。中でも「食」に関して沖縄は大陸や九州・アメリカなどの要素を高度に融合し、泡盛やちゃんぷるー、ソーキ等の他の地域には無い食品を数多く作り出した。また清涼飲料でも沖縄は特異で、沖縄でしか手に入らないジュースは結構多い。今回のコーラ津々浦々はそんな魅力溢れる沖縄・本島を、コーラをテーマにした散策をしてみた。 散策といっても、沖縄本島はでかい。面積にして約1200km2、淡路島の約2倍だ。また沖縄は現在日本で唯一鉄道の無い県としても有名で、完全な車社会。免許もなく、タクシーに乗る金もない私が今回移動に選んだのは路線バスであった。これで那覇から目的地・満座まで道なりに沖縄を観光し、なにか面白そうなものがあればすばやく降車ボタンを押す、という全然優雅じゃない旅をしようというのだ。 そんなアバウトな計画の私が那覇に降り立ったのは99年の記念すべき始めの日、1月1日だった。世間では「一年の計は元旦に云々」と言うようだが決行日に特に深い意味はない。単にスケジュール的な問題である。沖縄というだけで「青い空!白い雲!」みたいなイメージを抱きがちだが、この日はあいにく小雨の混じる曇空。なんだか歓迎されてないような気分ではあるが、めげずに最初の目的地・国際通りへと向かう。
ガソリン満タンですっかり上機嫌になった私はしばらく国際通りをうろつくことに。何軒か土産物屋に立ち寄ってT-Shritを見たり凶悪に甘い沖縄特産の菓子「ちんすこう」を試食したりしていると、突如「紅芋アイス」とかかれたのぼりが目に飛び込んできた。沖縄のアイスクリームチェーン「ブルーシールアイスクリーム」のスタンドである。早速紅芋アイスをゲットする。うむ、確かに紫色だ。味はこめかみに来る強烈な甘みの中にも紅いものまろやかな甘みがあって、なかなかの美味。ややアメリカンテイストだがお奨めの一品であった。 はじめから飛ばしすぎた感もあるが、とりあえず当初の目的であるバスに乗ることにする。バス停「国際ホテル前」で待つこと数分、20系統のバスがクラクションを響かせてやってきた。元旦だけあって乗客は私とおばあちゃん二人の計3人といういささか寂しい車内で私はバカな小学生のように左最前列の窓側席を陣取った。やはり見晴らしは良いに越したことはない。 バスは停留所で人を拾いながら国際通りを西へと進む。車内が少し賑やかになってきたころバスは「那覇バルターミナル」を経て今回の旅のメイン、国道58号線へと入った。車窓からはどこか日本ばなれした町並みが見える。しかしこのとき私に第一の危機が訪れていた。眠い!眠いのだ。暖かい車内、適度な振動、美味しい昼飯と泡盛、そして昨夜の無意味なカウントダウン。眠くなる条件はこれ以上ないほど整っていたのだ。 抵抗空しく生理的欲求にあっさりと屈した私が目を覚ましたとき、景色はすっかり変わっていた。緩やかなカーブを描きながら伸びる国道28号線の左側にはフェンスと植え込みが続き、その隙間から時折無機質な建物が姿を見せる。アメリカ軍キャンプ・キンザである。道路の右側に続く普通の町並みから道路一本隔てて存在する巨大な軍事施設はあまりに不自然で、寝起きなりに沖縄の背負う歴史の重さみたいなものを感じた瞬間であった。
10分くらいで看板に到着、矢印にしたがって横道に入る。人のまばらな住宅街を進んでいくと、壁にふるぼけた「スイートキッス」のロゴの描かれた食堂を見つけた。沖縄ではCoca-ColaやPepsiのロゴを直接店の壁に描いてあるのをよく見かける。それが雨風で傷んできて独特の趣を醸し出していることも多いのだが、「スイートキッス」のものはかなりレアだ。さすが沖縄チェリオ、恐るべし。
そのすぐ先に沖縄チェリオの工場はあった。とりあえず中をのぞく。と、そこには「CHANGE IT FOR チェリオ」とでかでかと書かれた巨大なタンクが!どうやらここが沖縄のチェリオ製造を一手に引き受ける工場らしい。「見学できないかなぁ」などとちょっと思ったが、本日は元旦なので当然お休み。そのうえ入り口の自販機に「Byg Cola」の姿は無く、とりあえず写真だけとって引き揚げることにした。 ![]() 戻ってしばらく待ってみるも、バスが来ないので58号線沿いをとりあえず歩くことにした。あいにくの曇空であったが気温はそれほど低くなく、散歩を楽しむには・橋を渡ってしばらく行くと、右手に見事な刈込みが見えてくる。A&W、いまやどの沖縄観光ガイドにも掲載されているファーストフードレストランである。かなりアメリカ的なテイストがウリで、中でもカーリーフライとルートビアは他ではなかなか食べられないレア・メニュー。特にルートビアはコカ・コーラより長い歴史を持つ現在では貴重な清涼飲料だけに、ドリンクフリークを自称する者なら絶対押さえておきたい一品だ。日本人受けする味では無いが。で、私はというとまだ腹がいっぱいだったので、大阪にA&Wがある事を神に感謝しながら先を急ぐことにした。
バスは58号線を快調に飛ばし、北谷(「ちゃたん」と読む)町にさしかかる。ガイドブックによるとこの辺りは「アメリカっぽいお洒落な店が並び、ホットな雰囲気が漂う」地域で、国道沿いにもインポートマートらしき店が何件か見える。しかし悲しいかな本日は1月1日ということで店はほとんど閉まっており、人影もまばら。そのままバスに居座り、一路北へ向う。「軍病院前」や「航空隊入口」などのいかつい名前の停留所を過ぎ嘉手納町に差しかかった頃、第二の危機が私に訪れていた。も、猛烈にトイレに行きたい!このままバスで旅を続ける予定だったがこの際背に腹は変えられない。急遽嘉手納で下車した私は、やや内股気味になりながらも途中に見えたファミマへ飛び込んだ。ありがとう、ファミマ!ビバ,ファミマ!
バスはさらに北へと向かう。嘉手納を過ぎると車窓からの景色は一変し、右手に熱帯の原生林が姿を見せはじめた。なんとも南国らしいのどかな光景ではあるが、実はこの林、米軍の沖縄最大の拠点・嘉手納基地の弾薬保管施設なのである。現地の人に聞いたのだが、朝鮮戦争の頃には核兵器が持ち込まれたらしいとか。私は沖縄の人間ではないので米軍問題について何も言える立場にはないが、いち観光客としてなにかしら違和感と不快感を憶えずにはいられなかった。
薄暗い店内には様々な生活用品がやや雑然と積まれており,どこか万屋的なイメージを受けた。壁ぎわの冷蔵棚にも様々な缶が無造作に詰め込まれていて,その半分くらいは私にとって未知のものであった。沖縄は清涼飲料の独自色が強いとは聞いていたが,まさかここまでとは。残念ながらコーラは発見できなかったが,「水出しバイオ茶」というラディカルな名前のお茶に引かれ思わず購入してしまった。 気持がよかったので,そのまま北へ歩き続ける。この辺りから左手に沖縄の海が見えはじめ,はじめてリゾート気分に浸ることができる。途中いい感じの個人商店に立ち寄り,賞味期限を2か月も過ぎたペプシのクリスマス缶(97年版)を発見してビビッたりしながらも小一時間歩き,目的地万座毛に到着した。しめて4時間半,なかなか面白い旅であった。 [四季報 1999年4月号] [コーラ白書] [HELP] - [English Top] Copyright (C) 1997-2000 Shinsuke Nakamoto, Ichiro Nakahashi. |