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コーラ小説 / セピア色の時間
藍住 美麗

 セピア色の想い出は私にとっての彼女についての唯一とはいかないが5歳の頃の私としては数少ない想い出のひとつだ。
「これのまない?」
 5歳の私にとって彼女は私の子供の友達の中で一番大人に近い存在だった。もっとも私と彼女は同い年なのだが。
「なに? これ」
 差し出された瓶の中の黒っぽい液体をまじまじと眺めたのを覚えている。
「おいしいよ」
 そういって彼女は2つのコップに瓶を傾けた。黒っぽい液体は小さな泡をたくさん噴き上げてコップの中に注がれて、その中でさえまだ泡を出し足りないのか肌色に近い泡をたくさん噴き上げた。
 もう、私は飲むことになっているらしい。彼女はコップのうちの1つを自分の口元へ持っていった。おいしそうに彼女は飲む。
 どうもこういうのに弱いのか頼まれたり勧められたりすると昔から断れなかったらしい。でなければそんな大袈裟に言えば得体の知れない、自分が今までみたことのない飲み物になど手を付けなかっただろう。
 口の中にその液体がはいっていったとき少しどきっとしたのを覚えている。ぴりっとして程よい刺激だった。
 そんな飲み物は初めてだったからやっぱり彼女は私よりずっと大人だと感じた。そんな尊敬する気持ちの中にほんのちょっぴり劣等感も混じっていて……
「これはコーラっていうんだって」
 彼女はそう言ったのをうすぼんやりと覚えている。
 その後、小学4年頃までは水泳という共通の習い事もあり私たちは頻繁に会った。その間中たくさんの想い出があったがなぜかこれが一番印象に残っている。
 おそらく彼女といる間中その時に感じたような気持ちを一番感じていたからだろう。感服、尊敬、この2つの中に微妙に混ざる劣等感……そんな感情をこの時ばかりでなく私はずっと彼女に対して持っていた。

 時は流れてあれほど頻繁に会っていた私たちはあまり会わなくなってしまった。私が中学入試をすることになり水泳を辞めたからだ。
 会おうと思ったら会えないことも無いが私は勉強に専念しないといけなかったし、学校も違うので会うこともなくなった。
 私は私で友達が増えたし、希望の中学校に行くことになったので前にも増して忙しくなったということもあり、とても彼女のことを覚えてられる状況でもなかった。
 中学2年の今、彼女も私のことなど覚えていないだろう。そういえば今年の年賀状には彼氏が出来たって書いてあったっけ、彼氏など縁の無い私には彼女がますます大人になっていくような気がした。
 私の知らないところで私の知らない彼女になっていくのは妙にせつない気もしたが、幼い頃からの友達なんてそんなものだろうとも思った。向こうは私のことをどう思っているだろう……どうせ覚えていない。
 普段飲むコーラと同じとは分かっているのだがあの時の黒い透き通った液体の味がどうしても違ったような気がする。
 彼女の記憶とともにその味も淡くなっているのかもしれない。

「ふう……」
 乗り継ぎの電車を待っているときに理奈はため息をついた。セーラー服と鞄が異様に重かった。まだ暦の上では春なのだが今日は異様に暑い。
 まだ衣替えしていないからだろう、厚いセーラー服を理奈は着ていた。あまりの蒸し暑さに理奈はホームの自動販売機を見た。あまり買い食い、もとい買い飲みはしたくないのだが。
 自動販売機の品目を理奈は眺める。炭酸飲料を探したのだが1種類しかなかった。ポケットから財布を取り出す。
「あれ? ひょっとして理奈ちゃん?」
 大人びた声の割に幼稚な台詞が聞こえたのでちょっと不思議に思って理奈は後ろを振り向いた。
 高校生が立っていた。耳にはキラキラとピアスが日に当たって反射していて茶色に染まっている髪は風で美しくなびいていた。化粧をしているのか肌は不自然に白く眉毛も整えられていた。
 ルーズソックスにミニスカート、そして弾けんばかりの胸……顔を見た後、下から順にその女性をチェックしたがどうしても理奈には誰なのかわからなかった。
 口紅を付けた彼女の口から思いもよらない言葉が出て理奈は驚いてしまった。
「やだ、理奈ちゃんってば。私よ私。忘れた? 裕香よ」 
 目の前に立っているのが裕香だと理解する以前に理奈は彼女が同級生だということの方が理解できなかった。中学2年で化粧、ヘアカラーなどという概念を理奈は持ちあわせていないのだ。
 学校、あるいは地域によってはごくごく自然なことなのかもしれないが理奈にとっては自然不自然を通り越して不快感を覚えるものでさえあった。
「相変わらず真面目そうじゃん」  まじまじと裕香は理奈を見た。規定どおりの膝下のスカート、普通のソックス、髪は束ねてありもちろん地の黒色、修飾品は全く身につけず縁のない眼鏡をかけている。
 文字どおり『真面目』としか理奈の見た目は形容のしようがないだろう。
「そんなことないわよ」
 理奈はできるだけ普通に対応したがあまりいい感じはしなかった。はっきりいって理奈は『コギャル』とか『最近の中学生・高校生』などというふうに呼ばれる人種は好きではない。偏見かもしれないがどうしても理奈は好きになれないのだ。
「プリクラ持ってる?」
 少し理奈は失望感を感じた。久しぶりに会ったら思い出話に花を咲かせずまずプリクラか……と思ってしまったのである。
「学校だから持ってないわよ」
 裕香は残念そうにしたがちょっと待ってすぐ理奈にきいた。
「ひろくんとは上手くやってんの?」
 急に話題が変わったのと知らない人の名前が出てきたのとで理奈は応対できなかった。
「誰? それ」
 ひろ君というには男の子の呼び名だろう、理奈の身の回りにそんな風に呼ばれている男友達はいない。
「やあね、とぼけちゃって。キスまで済ませたんでしょう?」
「知らないよ」
 身に覚えのないことを裕香に言われて少しムキになって理奈は言い返した。
 人のプライバシーに土足で入ってしかも全く知らないことを言うなんてどんな神経をしているのか理奈は裕香に腹立たしさを覚えた。
「嘘言っちゃって」
「知らないって!」
 本気になって理奈は言い返した。裕香も少し戸惑ったがそれでも理奈に言った。
「嘘ばっかし」
「知らないってば! 私まだキスなんてしてない!」
 理奈は半ば怒鳴っていた。それほど腹立たしかったのだ。それをからかうように裕香が言う。
「照れちゃって。あ、そろそろ向こうの電車が出るから、またね」
 理奈は怒りを通り越して呆れてしまった。腹が立つのと裕香が変わってしまったという寂しさとがごっちゃになっていた。
 プライバシーに土足で全く違うことを言いながら入ってこられて迷惑だったがあの頃の裕香はそんなことはしなかった。理奈が話したくなさそうにすると違う話題を持ち出してくれていたのに。
 本当に知らないのに誤解を解くどころかその機会さえも理奈にはなかった。3分もないごくごく短い会話の中で理奈は裕香に失望していた。
 何が彼女を変えたのだろう学校か家庭か彼氏かそれとも……
「時間か……」
 一人で呟いてみて出しかけていた財布をもう一度取り出した。硬貨を一文字の隙間に入れるとカシャンと音がした。
 ピッ
 一つだけまっすぐ選んでボタンを押した。
 ガシャン
 音をたてて缶が落ちてくる。
 プシュ
 缶を開けて一気に理奈は液体を飲んだ。ピリピリとした痛みが、幼少の頃心地いいと感じたあの刺激が……
「痛い」
 飲み干した後そっと呟く。痛みがまだ理奈の喉の奥には残っていた。
 もう、理奈の幼少の頃の淡い思い出の中にしか彼女はいなくて理奈もそのうち変わることとなるだろう。

 移り変わる時の流れに理奈はこの時、初めて虚しさを覚えた。痛みも残して。


[四季報 1999年4月号] [コーラ白書] [HELP] - [English Top]
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