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コーラ津々浦々 / 北米周遊・アトランタへの旅編(前編)
中本 晋輔 & 中橋 一朗

プロローグ

いつの時代にも,人々は聖地を目指す。それは時にはエルサレムであり,ガンジスの流れであり,時にもっとも素朴なケースでは,単に近親者の墓石であったりするかもしれない。可視の現実を求めて移動し,そしてそこに見いだすのは,単なる歴史の説明書きと,結局は不可視の幻想---例えば,悠久の時の流れとか---,それだけだ。

それでも人々は目指す。神々に愛されるために---あるいはもしかしたら,神々を愛するために。

シアトルの夜明け

コーラの神様がいるとしたら,一体何処に?

そんな疑問から,この旅は始まったのだと思う。結論からいえば,○○の神様などという考え方自体が十分にアジア多神教的で,そういう神様というのはおおよそどこにでもいるものだ。裏山のクスノキにはしめ縄が張ってあるものだし,長年使い込んだ包丁には魂がこもると云う。だからコーラの神様は,我々がコーラを飲む時,いつもそこに在るのだろう(試飲の時の飲み残しにはご立腹のことと思うが)。別段それで問題はない。

とはいえ,歴史の悪戯か,コーラという世にも不健康的な飲み物を発明せずにはいられなかった栄光の街・アトランタに,並ならぬ霊感を得たとしてもそれはむしろ当然のことと思う。今回は幸い予算や時間の面で好条件が重なったので,シアトル=バンクーバー=アトランタという移動距離の大きいプランを(中本が)計画した。1依然残暑の厳しい大阪を発ったのは,10月中旬のことである。

成田空港から約7時間30分。午後早くに離陸した航空機は,地球の自転に沿って急速に夜を駆け抜け,朝の7時頃シアトル・タコマ国際空港に着陸した。サマータイムと高緯度のせいで,北米の朝は暗い。さらに8時間という強烈な時差が思考を鈍らせる。

説明するまでもないと思うが,シアトルはアメリカ合衆国西海岸,カナダとの国境近くにある都市で,アメリカ本土の中ではもっとも日本に近い。中本の説明によるとなんだかコーヒーがうまいので有名らしいが,その理由は知らん。けれどもこの辺のコーヒーのうまさに間しては,のちに思いきり思い知らされることになる。ぎゃふん。

ボーディングブリッジから到着ロビーを抜け,荷物を受け取ったりとか愛想の悪い入国審査を辛うじてくぐりぬけたりとか(英語が頭に出てこない),この辺は興奮状態でもひとつ記憶が定かでないので割愛するが,とにかくシアトルでご厄介になる予定の Bottomly 夫妻が出迎えてくれたため,とりあえず路頭に迷わずには済んだみたいである。

まずは朝食をということで,夫妻はダウンタウンの Public Market(公営市場)へ行くことを提案した。機内食で朝から焼きそば(けっこう旨い)などを食った我々としては別段空腹というわけではないのだが,朝食抜きで空港まで迎えに来てくれた Bottomly 夫妻のこともあるし,個人的には記念すべきアメリカ不健康朝飯の第1回として興味深くもあり,ぜひぜひ連れてってとお願いしたのだった。

機内食の焼きそば

なだらかな丘陵地に広がるシアトル郊外の美しい景色を眺めながら,フリーウェイを30分も走っただろうか。やがて右手に天を突くような高層ビル群が近づいてきた。左手は海。コンテナヤードやフェリーターミナルが見える。ビルとビルとの間には急な坂道が斜面に張り付いて,独特の景観だ。この,いわゆるウォーターフロントの一角に Public Market はあった。

Public Market

海の見えるカフェで,優雅な朝食。すごいぞアメリカ,さすが帝国主義,と中橋が思ったかどうかは不明だが,とりあえず問題が発生した。よくわかんないのでメニューから適当に選んだら,なんかよくわからんことを聞かれるのだ。へ? という顔で突っ立っていたら横から中本が,「それは卵の調理法を聞いているんだ」と助け船。なるほど,焦ってカフェイン抜きのコーヒーを注いじまったぜ(失敗その2)。

その後おもむろに市場内をうろついたりしてみた。この市場は斜面に張り付くように建てられていて,正面入り口のある最上階から斜面下へと建て増ししたらしい(つまり,地下へ続くように見える)。最上階は,日本でいえばむしろ朝市みたいな感じのする庶民的な市場で,野菜やら果物やら魚やらが売られている(ただし種類は全然違う)。洋服や絵画を売る店もある。

階下へと進むと,おもちゃ屋と・アンティークショップなどの小物店が並ぶ。とりあえず驚いたのは,アメリカでのポケモン人気のすさまじさ。偽ピカチュウ目覚まし時計とかも売っていたのだが,高かったから買わなかった。中本はポケモンのコミックを購入していたぞ(3ドルもするのにペラペラに薄い)。

風邪ひき中本くん,帆船に乗る

でまあ,一応シアトルのダウンタウンを散策したりとか,そういう普通の観光みたいなこともしたのだが,実は冷蔵庫のある店がある度に中本が目をぎらつかせながら「コーラチェック」をするので全然普通の観光じゃないぞボケしかも時差のせいで頭はボーッとするし別に新しいコーラは見つからないし Public Market では下水管が破裂してやたら臭いしと,なんか思い出すとだんだん腹が立ちそうなので,コーラ白書の品位を保つために細かいことは割愛しようと思う。がおー。

で,翌日はシアトル近郊のエバレットへと出向き,ボーイングの工場でジャンボジェット 747-400 の製造風景を見学。工場の建物は世界最大。組み立て中のジャンボジェット機が中にズラッと並んでいるのだから,その大きさはすでにウサギ小屋民族の理解を越えている。組み立て終わった飛行機を外へと運び出す扉がアメリカンフットボールのフィールドと同じ大きさ,建物自体にはディズニーランドがすっぽり入っちまうんだぜ,と説明のおじさんが言ってたような気がするが,英語だったので聞き間違いかもしれない。興味を持った人はボーイング社のwebサイトをチェックしよう。

シアトルでの体験として特に印象的なのは,実はヨットに乗ったことである。じいちゃん(Forbes Bottomly氏)はなんとお手製の(!)ヨットを持っているのだ。ボートは近くの湖にあるマリーナに係留されており,まずはそこでロープの結び方を練習。操縦はじいちゃんに任せるとして,なぜ我々がロープ結びの練習をしなくてはならないのか。この湖は水位調整のための水門で海とつながっていて,そこを通過する時に船体をいったん岸に繋ぐ必要があるのだ。

出発前から風邪ぎみの中本くん,ここに至ってさらに体調が悪化したらしく,なんだか機嫌が悪い。結び方は難しい(慣れると簡単なんだけど)。じいちゃんは英語で喋るのでようわからん。はっきり言って俺様ピーンチという場面なのだが,持ち前の根性の無さを如何なく発揮して開き直り,水門を無事クリアー。跳ね橋をくぐっての半日ばかりのセーリングを楽しみましたとさ。ちゃんちゃん。

Bottomly 夫妻のアパートへ帰ると,いきなり段ボール箱が2つ。そして中本の不敵な笑みが。実は中本が前もってアメリカの通販webサイトで購入していた新種コーラが,夫妻のアパートへと届くようになっていたのだ。中身は「Blood Red Cola」と「Wrangler Cola」,計24本。荷物を減らすためにかなりの本数を頑張って飲んだ。頑張らないと飲めないあたりが人生の奥深さを示唆しているのだが,その辺に関してはまあ多くを語らないのが長生きのヒミツかもしんない。

シアトル・ひとくちメモ

朝食 卵は boiled, sunny side up, both side, scrambled。
コーヒー Decaf. はカフェイン抜き。
ルートビア やっぱ旨い。
ロープ こうやって,こう結ぶ(図解は省略)。
ドリトス 道端で食ってる。うーむ,パラダイスアメリカ。

コーラ暗黒地帯・バンクーバー

シアトルとバンクーバーへ直線距離はわずか200km弱。バスでも十分に移動できる距離なのだが,面倒なので空路を利用した。我々を出迎えたのは40人乗りほどの小さなプロペラ機,デハビラントカナダ製の DHC-8 である。小さいとはいえ,シートが本革張りだったり,キャビンクルーのおばちゃんがゲラだったり,なかなかこだわりを感じさせる小1時間であった(注:ゲラとはやたらとゲラゲラ笑う人間を指す関西弁)。ごく簡単な入国審査があって,随分とあっけなく,隣国カナダへと到着である。

バンクーバーでは中本の朋友(という言い方がふさわしく思える)Mark Stubbs氏が出迎えてくれた。現在 Terry君(推定2才)にラブラブ真っ最中のナイスなおとうちゃんであるが,それ以前に非常に頭の切れるすごい人でもある。

翌日早速バンクーバーのダウンタウンへと繰り出す。ダウンタウンまでは SkyTrain という鉄道が通じており,簡単に行くことができた(駅までは車で送ってもらったが)。バンクーバーの公共交通はバス,鉄道,シーバス(水上バス)も含め共通の料金体系となっており,非常に便利だ。域内は3つのゾーンに分かれており,いくつのゾーンを横切って移動するかだけで料金が決まる。このシステムは世界的にも高い評価を受けている(らしい)。

ダウンタウンの中心で SkyTrain を降り,しばし街を徘徊する。バンクーバーのダウンタウンはちょうど歩いて廻れるくらいの広さで,この辺も好印象である。俺様はいいかげん伸ばしっぱなしのヒゲがみっともないので,ドラッグストア(本来は薬局であるが,実態は日本のコンビニみたいなもの)でヒゲソリ(5本パック)を買う。

中本は相変わらず鋭い目つきで店々の冷蔵庫をチェック。するとあるわあるわ,変なコーラを続々発見。RED DEVIL COLA(青&赤),REVOLUTION COLA,JONES COLAときて,中本は犬のようにはしゃぎまわっている。さらに,Mark のご両親にシリアからの Coca-Cola と Canada Dry Cola をいただいて,俺様としては実は中本は犬なんじゃないかと疑わざるを得ない。その晩,Mark と奥さんのユミさんを交えて早速試飲会を行ったのだが,Mark はやたらハイになって踊ってるし,ユミさんは変な物飲まされて顔しかめてるし,Terry は寝てるし,バンクーバーの夜は静かに更けていくのだった。

Markが変

雨のダウンタウン,たそがれて

日本食の話をしよう。俺様の見る限り,バンクーバーは日本人が多い街だ。ストリートを歩いていて後ろから日本語が聞こえることも希ではないし,実は日本食の店が多い。とはいえ,その内実は様々だ。

初日には,ショッピングモールのファーストフード店で焼きそば(Japanese Yakisoba Noodle)を食った。「Soba noodle with mashroom」と頼むと,店員はやたら鮮やかな手つきでソバを炒める。で,炒めたら皿に盛って,上に炒めたマッシュルームをしこたま載せる。それから,くそ甘辛い照り焼きソースをたっぷりかける。以上できあがり。すごく不味いというわけではないが,そんなに旨いものでもない。

それから,夜には寿司を食おうという話になって,駅の周辺で寿司屋を探したが,見つからない。昼間歩き回った Robson Street のあたりにはたくさんあったのだけど・・・。一応何軒かは見つけたが,高いとか,これは食ったら死ぬよ,とか二の足を踏んでいる間に,あたりはすっかりと暗くなって,ほとんどの店は閉店。開いている店はマクドナルドだけだったとさ。

てなわけで,昨日の鬱憤を晴らすべく再びダウンタウンに繰り出した我々だが,あいにくの雨。それでもめげずにチャレンジしたのが「SUSHI ROBO」の隣の「NOODLE ROBO」。なんといってもネーミングがすごい。ロボ,それは日本語として完全に意味不明だし,もはや英語でさえない。一気に高まる期待を胸に店に飛び込んだら,なんと日本人が経営する普通の定食屋だった。なんか消化不良という感じ。でもさすがに鮭の刺身は旨い(バンクーバーでは鮭漁は禁止らしいが)。

以上日本食の話は終わり。

で,本日の最大の目的は,ふふふ,Virgin Mega Store のカフェで Virgin Cola を飲むことだったのである。ほぞ降る雨の中を Virgin 目指して歩く。時折リチャード会長のひげ面が脳裏をよぎるのは,多分疲れているせいだろう。というか,あの顔は疲れる(余談)。

バンクーバーの Virgin Mega Store は地下1フロア,地上2フロアのかなり大きなもの。そのうち2階部分の半分ほどがカフェになっている。見ると,レジに愛想の悪いピンク髪のねえちゃんが。ピンチである。しかも,メニューに Virgin Cola の文字がない。

「バージンコーラはありませんか?」

中本が(こわごわ)ピンク髪に聞く。

「無い。Jones Cola ならある。」

とピンク髪。なんと,Virgin Cola はカナダから撤退してしまったのだろうか。いや,それよりも,どうしてそんなに愛想が悪いのか。しかもピンクなのか。

失意の我々の心中とは裏腹に雨はあがり,バンクーバーには夕日が射しはじめた。街が黄金色に輝く瞬間だ。私はカメラを取り出し,シャッターを切った。さらばバンクーバー。明朝早く,我々はアトランタへ向けて飛び立つ。

ひとくちメモ・バンクーバー

破裂 スーツケースの中でコーラの瓶が破裂するという経験を積んだものだけがコーラキャリアと呼ばれる資格を持つ(中本言)。
EATON'S 倒産して在庫処分中のデパート。昨日5割引のものが,今日はなんと6割引になっていた。でも良い物は先に売れてしまう。
Robson Street バンクーバーの原宿(?)。若者向けの目抜き通り。
閉店時間 7時半頃までにはほとんどの店が閉まる。別段治安に問題があるわけではないので,場所によっては遅くまで開いているのだろうが。
本文中にも述べたが,バンクーバーでは環境保護のため鮭の捕獲は禁止されているそうである。土産屋の鮭はいったい何処から来てるんだろう?

★ ★ ★

あ,最後になりましたが,シアトルのじいちゃんばあちゃん,バンクーバーの Mark,ユミさん,Markのご両親,どうもお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げますが,日本語ですいません(近日中に写真送ります)。

10月6日 一七〇〇 新潟

新潟大学第二体育館の大きな壁掛け時計は5時を回ろうとしている。終わった。全て終わった。思い起こせば3ヶ月前、何も内容のないまま予稿を上げて以来、常に私の心に重くのしかかっていた高分子討論会が、ついに終わったのだ。終了間際に同じ大学の先生に捕まって時間一杯まで説明させられロケットスタートを切れなかったのは誤算であったが、終わってしまえば誤差のうちだ。私は大急ぎでポスターを引っぺがし鞄にねじ込んだ。と、その手で底にあるものを確認し、この感触をしばし楽しむ。パスポート―これまで幾度となく苦楽を共にしてきたこの小さな冊子は、明日私と共に最後の旅に出ようとしている。奇跡の地・アトランタへ。

私がつれの中橋とアメリカ行きを考え始めたのは半年以上前のことになる。当初は夏休みを利用する予定であったが、休みに暇な健全な私と休みに忙しい不健全な中橋とでは予定が合わず調整は難航した。何とかならないかとカレンダーをにらんでいた私にすばらしいアイデアが浮かんだのは夏休みに入った頃のことだった。「10月の学会のどさくさに紛れていけばいいやん」。10月始めなら旅費も安い。私のこのエクセレントな考えに中橋も異論は無かった。問題となるのは我が研究室の大ボス、T教授である。私は普段使わない左脳をフル回転させて策略を練った。幸運なことに私は10月にアメリカの友人の結婚式に招待されていた。こいつは絶好のプロパガンダだ。また学会直後には連休があり、少々休んでもそれほど目立たない。私はT教授の機嫌の波(sin関数で近似できる)を注意深く計算し、ついにOKを取りつけることに成功した。こうしてT研では異例の「10月休暇」が実現したのである。

教授への挨拶もそこそこに、私は鞄を担いで新潟駅へ急いだ。そこで16:38初の新幹線「あさひ」に飛び乗ると、一路東京へと向かう。途中若干迷ったこともあって結局新宿のビジネスホテルに到着したのは10時近くであった。さっそく似合わない背広を脱ぎ捨てて、夜の町に赴いた。というのもこの付近で「XTZコーラ」なるものが売られているらしいという情報を入手していたからだ。しかし結果は空振りに終わり、失意の私はビールをあおって寝ることにした。

10月7日 〇九〇〇 東京

翌朝、モスでヘビーな朝飯を平らげた私は9:40発の成田エクスプレスで空港へと向かった。車内で持ち物のチェックを行い、この時点で何も土産を買っていないことに気づいた。まあ、空港で調達すればいいや。そんなことを考えながら、時間つぶしに予定表をみながら飛行時間を計算なぞをしてみる・・・・32時間? シアトルってそんなに遠かったか?そもそもB747は30時間も飛べるのか?しばらく考え倒してようやく気づく。どうやら到着日を一日間違えていたらしい。はうぅっ!と悶絶しているうちにNEXは終着駅・第二エアターミナルに到着した。

とりあえず4Fの出発ロビーに向かい、中橋と合流。すぐ中橋からテレカを奪って、滞在予定のアメリカじーちゃんの家に電話する。あいにくじーちゃんは不在だったので、留守電に一日早く到着する旨を入れておくことにした。その後土産を買いに店を回ったのだが良いものが見つからず、結局何も買わずに始めの滞在地・シアトルに向かうことになった。直前に予定変更した上に土産なし、俺達かなり感じ悪いかもしれない

定刻に飛び立ったNW008便は一路シアトルへと向かう。飛行時間は8時間弱とアメリカ行きとしてはほぼ最短なのでずいぶん楽な旅である。出発時刻が遅かったので、巡航飛行に入ってすぐ夕食を食わされる。今回初めて気づいたのだが、ノースウェストのオフィシャル飲料はPEPSIらしい。それでもちゃんとコカ・コーラを積んでくれているのは嬉しい配慮である。見たことのない缶だったので缶ごともらってみると、それはCoca-Cola Classic のMinesota Fair記念缶であった。おそらくミネアポリスで積みこまれたであろうその缶を見ていると、なんだか急に「アメリカに行くんだな」という実感がいまさらながら沸いてきた。ちなみにこの日のメインディシュはビーフかヤキソバかの2択で、外国人に不人気な後者が山積みになっていた(美味しかったのに)。

10月7日 〇七四五 シアトル

午前7時45分にシアトル・タコマ空港に到着した我々を待っていたのは、雨と寒さ、そしてJerry ばあちゃんの熱烈な歓迎であった。彼女は私の母の留学時代のホストマザーで、母曰く「寂しくなる暇を与えないほど」よくしゃべりよく騒ぐ愛すべき人物である。その上今回はForbsじいちゃんとZIPPY号(犬)まで出迎えにきてくれていた。このじいちゃんも、教育委員会の委員長を定年で退いてから10トン級のヨットを独学で作ってしまった凄い人だったりする。しばらく再会を喜んだ後、車でシアトルのダウンタウンに向かった。

途中ウォーターフロントの傍にあるPublic Marketに立ち寄った。Pike Place Marketとも呼ばれるこの市場は「地球の歩き方」でも紹介されているメジャースポットで、新鮮な魚介類はもちろん様々な雑貨屋やレストランが軒を連ねている。その中でも海を一望できる落ち着いた感じのところで朝食をとることになった。出発前のモスから数えてすでに3回目の10月7日の朝食である。メニューはいたってシンプル。トーストとハッシュブラウン、たまご、コーヒーがセットで、たまごはこちらの希望する方法で調理してくれる。私はいつもの硬めの目玉焼き(over-medium sunny-side up)。久々に食べる典型的アメリカン・ブレックファーストに私は大いに満足した。

一度家で荷物を置いた我々は、お約束のコーラ探索へと赴いた。シアトルのランドマーク・Space Needle やAfriに初めて出会ったSeven-Elevenなどを見て周ったのだが、時差ぼけのせいかほとんど記憶がない。でも鞄の中には新製品PEPSI-ONEが入っていたので、ちゃんとコーラは探していたようだ。その日は二人とも冷凍マグロのように爆睡した。

10月8日 一〇〇〇 エバレット

翌日はBoeing・エバレット工場の見学へ。これについては中橋が書いているだろうから省略するが、なかなか面白かった。その夜は海辺のレストラン"Anthony's"でシアトル産の魚料理を食べに行った。隣で生牡蠣に舌鼓を打つ中橋を見つつ、日和ってシュリンプカクテルを頼んでしまった自分の軽率さを悔やみながらも、新鮮な海の幸を腹いっぱい食らって大変ご機嫌中本君であった。

10月9日 一一〇〇 シアトル・ワシントンレイク

2日間降り続いた雨がようやくあがったこの日、我々はシアトル滞在の恒例行事である手作りヨット・Tuatara号でのクルージングに出かけることになった。このヨットはその気になればハワイに行けるほどの本格的なものだが、この日は時間の関係上日帰りでシアトルベイをクルーズすることになった。

チッテンデン水門

Tuataraの繋留されているワシントンレイクから海に出るにはチッテンデン水門(変な名前)を通らなければならない。ここはたいていのガイドブックに紹介されてるシアトルの名所の一つで、フィッシュラダー(鮭の川登りを助ける人口の渓流)を直接見れる施設なんかもあって興味深いのだが、実際ここを通過するとなると話は別だ。何十回と通過してきたじいちゃんでさえ「Lock(水門)は通るたびに新たな発見がある」とのたまうほどの難所(?)なのである。しかし今回は中橋の活躍もあり、特に問題もなく通過することができたのだった。風のぱったり凪いだ海でしばらく時速3ノット弱のクルージングを楽しんだ我々は、海の静けさを十分堪能して帰路についた。

そういえば、シアトルで重要なコーラを2つゲットしている。これはアメリカ国内専門の通販WEBサイトに注文しておいたもので、Bottomlyさんが受取人になってくれていた。ネットでしか販売していない(しかもアメリカ限定)コーラの入手は日本ではほとんど不可能なので、まさにBottomlyさまさまである。今回入手した"Jack Black's Blood Red Cola"と"Wrangler Cola"は近々白書で公開する予定なので、お楽しみに。

10月10日 一七〇〇 シアトル・タコマ空港

午前中を町で過ごした我々は次なる目的地・バンクーバーに向かうべく空港へと向かう。シアトルとバンクーバーは250km程しか離れておらず、いろいろな手間を考えるとバスのほうがずっと早かったりするのだが、そこは格安周遊券の宿命と言うやつである。こんな近距離ではノースウェストの路線はなく、我々が利用したのはシアトルローカルの航空会社ホライズンエアーであった。またこれが双発のプロペラ機で、乗客数32人・添乗員1名・パイロット1名の34人乗りという男前さ。その上唯一の添乗員がやたら笑うねーちゃんで、物凄い早口で(そして棒読みで)安全器具の説明をするとき以外は客のだれかとだべっていたりする。それでこそアメリカくそ国内線の真骨頂である。

DHC-8型機

1時間足らずでバンクーバーに到着。こんな時間にはだれも来ないのかバッゲージクレームも入国審査も人影はなく、我々は到着後10分と言う国際線では異例の早さで到着ロビーに出ることができた。しばらくするとバンクーバーで2日間お世話になるMark Stubbs氏がピックアップにきてくれた。若い頃世界中を旅して様々なコーラを提供してくれた彼も、いまでは1児のパパとしてこの地に落ち着いてしまった。このガキのテリー君がまたやたら可愛いのである。片言で"shinsuke"となんて呼んでくれるのである。途中から中橋と名前がごっちゃになり、私を"ichiro!"と呼ぶようになってしまったのは少々遺憾ではあったが。

各々の荷物を運び出しているとMarkから「イチローのスーツケースから赤い液体が漏れている」との報告。どうやら前述の"Blood Red Cola"の蓋が輸送中に外れ、中身がぶちまけられてしまったらしい。コーラが輸送中に破裂することはそれほど珍しくなくないのだが、中橋はこれが初体験だったようでなんだか動揺している様子。しかしこの経験が彼にZip-Lockの利用を思いつかせたとすれば、貴重なコーラのロスもそれほど痛くはないというものだ。

スーツケース

私がMark邸を訪れるのは2年ぶりになる。前回はまだテリーがおらず、購入直後だったこともあって随分きれいな家だなと思ったことを覚えている。特になにが変わったわけではないのだが、2年の間にマーク邸はすっかり「1歳半の子供のいる家」に様変わりしていた。トイレにもチャイルドロックなるものが取り付けられていて、夜中に便意をもよおした私は人間の尊厳をかけて便器と戦う羽目になった。恐るべきは子供の存在感である。

10月11日 一一〇〇 バンクーバー・ダウンタウン

私は着替え総洗濯の痛手から復活した中橋とともにダウンタウンへ向かった。もちろん新たなコーラを探すためである。バンクーバーのダウンタウンと言えば過去にMoxie Colaが発見されたところでもあり、少なからず期待を抱いてはいた(コーラ月報97/11参照)。しかしこの日がコーラ白書始まって以来の大フィーヴァーになろうとは一体誰が予想したであろうか。

腹が減ったので、とりあえずモールのフードコーナーをうろつくことにする。何を食べようかと迷っていた我々の目に、異様な雰囲気の店が飛び込んできた。Japanese Food "KOYA"。なんじゃそら。 カウンターの横の大きな鉄板からは咽るような照り焼きソースの匂いが漂っている。店員が妙ににこにこしているのも不気味だ。以前から「アメリカの日本食が食べたい」と言っていた中橋の意向を汲んで、我々はここで飯を食う決断を下した。私が注文したのは確か"Noodle with Vegetable"であったと思う。しかし目の前に現れたのは照り焼きソースの大量にかかった炒めた麺と、鬼のようなモヤシであった。ちなみに中橋のものには、大量のマッシュルームが山になっている。たしかに不味くはなかったが、異国の地の変わり果てた日本食には涙を禁じえなかった。

KOYA
偽焼きそば

気を取り直して町へ。前回の教訓を生かし、今回のコーラ探索はコンビニとCiger Shop(タバコや食品を扱う個人商店みたいなもの)を中心に行われた。結果的にはこれが大当たり。一軒目で発見した"Red Devil Cola"を皮切りに、強烈なインパクトのコーラが次々に発見され始めたのだ。Jone's Vanilla Cola, Brainwash Cola, Jolt Cherry Bomb, ....この他にもスーパーのプライベートブランドなどが加わって、一日でかばんに入りきれない程のコーラが集まったのであった。まさに嬉しい悲鳴、いや中橋は本当に悲鳴をあげていたような気がする。奇しくもこの日はカナダのサンクスギビングにあたる。このコーラ大量入手を記念して10月11日をコーラ白書のサンクスギビングにすることにしよう,と中橋に提案したら冷たくあしらわれてしまった。しょんぼり。

結局日が暮れるまでコーラを収集した我々は、ほとんどのレストランがすでに閉まっているのに気づいた。まだ7時なのに、である。当初は昼飯のリベンジに再度日本食に挑むつもりだった我々は慌てて晩飯の確保に動いた。なんとかマクドだけは見つかった。折角なので私はマクドの最高峰"Double Quater pounder"セットを注文。この北米限定メニューはひき肉250gを使用した巨大なハンバーガーである。これに怒涛のポテトとジュースがつくのだからそのボリュームたるや並ではない。隣で中橋が「マクドって実はうまいのかも」とつぶやいていたが、確かにこちらのマクドは日本のよりずっと旨いような気がする。

Virgin Mega Store

10月11日 二二〇〇 Mark邸

あまりに大量のコーラが発見されたため、その夜Mark邸にて緊急試飲会が開かれた。メンバーは私・中橋・Mark・Markの奥さんのユミさんの4名。健全な発育に悪影響を及ぼしそうなコーラが多かったので、テリー君にはご辞退頂いた。この日の試飲会は、後にコーラ白書の歴史のなかでも最もテンションの高いものの一つに数えられる事になった。笑う中本、悩む中橋、暴走するMark、怖がるユミさん。こうしてバンクーバーの夜はふけてゆくのだった・・・・。

以上,中本の視点と中橋の視点から平行してお送りしました。記述はおおむね事実に基づいていますが,若干脚色されているため双方で記述が食い違っているところがあります。気にしないでください。

次号(コーラ四季報ミレニアム 2000年1月発行)では,ついにアトランタへと乗り込みます。お楽しみに。


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