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コーラ小説 / 通学定期
M-TAM

私はまだ人気の多い夜の駅前を小走りに進んでいた。
『置いてくるとしたら、あそこしかない・・・』
さっきコーヒーを買った自動販売機。熱い缶を取り出すときに、背伸びして自販機の上に財布を置いたはずだった。うっかりしていた。今日は塾で単語のテストがあり、気持ちはそちらに行っていた。何しろ入試は目前だ。でも、覚えた単語はもう焦りが何処かにやってしまったし、第一、もう塾には完全に遅刻だった。

僕は手持ち無沙汰で店を出た。5000円のプリペイドカードを買ってから40分しか経っていなかった。全部スった事はかまわない。そのつもりだった。でも早過ぎる。部屋に居たくなかったから暇をつぶす為にわざわざ2駅先の出ると評判のパチンコ屋まで来たのに、部屋を出てからでもまだ1時間と経っていない。だが、もう一文無しだった。すごすごと帰るしかない。そして、無意識に電話を見つめる自分をあざ笑おう。

駅に近づくにつれて、人の波と逆流して進むことになった。行進のようにのろのろとうつむいて歩く人の列がもどかしい。たしか、切符売り場のすぐ隣の自動販売機だ。前を行く人の影からちらりと見えた。お願いだからまだのっていて欲しい。赤いお気に入りの財布を思い浮かべた。祈る思いで自販機の前まできて、上を見上げた。財布はなかった。

切符の自動販売機の前でポケットに手を入れて、一瞬どきっとした。後ろからいらいらした気配が漂ってくる。苦笑しながら列を離れる。
『まあ、歩いて帰ったってしれたものさ。時間つぶしにはなる』
ポケットには小銭すらなかった。
『帰るまでコーヒーすら買えないな』
と、傍らの自販機を見ると、てっぺんに財布がのっている。思わずそれに手を伸ばした。赤いかわいらしい財布の中を開けてみる。学割の定期が入っていた。
『坂井友紀。17歳』
それと5000円ほどの現金が入っていた。ついさっきスったばかりの5000円を思い出しながらつぶやいた。
『5年前、5000円って大金だったよな』
僕は財布をジャンパーの内ポケットに入れると、自販機の横にしゃがみこんだ。

「サカイ・ユキ・チャン」
上を見上げていた友紀ははっとしたように声のしたほうを向く。信之はぎこちない笑顔を浮かべて立ち上がった。
「ああ、やっぱり。君が坂井さん?これを探してるんだろ?」
友紀の表情が安堵に変わる。
「は、はい。あの、そうです。ありがとうございました」
「いえいえ。なんのなんの。それで、」
「じゃ、失礼します」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。ごめん、お願いだから待って」
今度は友紀の顔が不安に曇る。それをみて信之が面白そうに微笑む。
「坂井さんってすごくかわいいね」
「失礼します」
「いやいや、話を聞いて。ね。そのかわいい坂井さんにお願い。財布拾ってあげたんだから謝礼をいただきたいんだけど」
友紀の顔がこわばる。
「いくらお支払いすればよろしいんですか」
「うーん、1割って言いたいところなんだけど、取りあえず1区の切符が買えるだけ。お願い」
今度は友紀の顔に「なあんだ」と書いてある。信之は笑い出した。
「どうしたんですか?」
「いやあ、君が急にほっとした顔をするから面白くなっちゃって、ちょっといじめちゃったかなと思ってさ」
友紀も可笑しくなって来たようでクスクスと笑い出した。
「なんだ、からかわれてたんですか、わたし。悪い人なんですね」
「いいや。いい人よ。財布預かっておいてあげたでしょ。だから、220円頂戴」
「そうですね。お金もってないんですか?」
信之は背後のパチンコ屋を指差した。
「よくないですよ。いくら負けたんですか?」
「5000円」
「それで帰れなくなっちゃったんですか?」
「まあね」
「いつもそうなんですか」
「まさか。ちょっとさ、パチンコに負けたい気分だったんだ」
「へんなの。やったことないからわからないです。負けるとどんな気分です?」
「悔しいよ。でも寂しくない」
言って信之ははっとして友紀の顔を見た。友紀は驚いたような目でまっすぐ信之を見ていた。
「じゃあ、俺、帰るわ。悪いけど切符代、くれないかな?」
「だめです」
「えっ・・・」
「・・・変ですね、私。寒くないですか?コーヒー要りません?」
「俺はそんなに寒くないよ。でも、貰おうかな。コーラがいいや。奢りだろ?」
「はい、もちろん」
友紀はさっき財布を忘れた自販機に向かった。信之はその姿を眼で追う。

私はちょっと落ち込んでいた。私はあの人を傷つけたみたいだ。理由はわからない。自分が悪いことをしたとは思っていないけど、でも、あの人の表情からそれははっきり伝わってきた。このまま別れてはいけない。なぜかそう思った。私が孤独なのと同じ位あの人は孤独なんだ。自分のことはいいの。たぶん全国の受験生が孤独なんだ。でも、そんな私だって、救われたい。この期限付きの苦しみからでも。どういうわけか、あの人がそんな私の戦友のように思えた。でも、この気持ちをどう伝えたらいいのだろう。

僕は少し落ち込んでいた。彼女をびっくりさせてしまったようだ。不注意だった。考えてみればさっきから不注意続きだ。どうかしている。でも、なぜか彼女が僕を慰めてくれているような気がした。まあ、5つも年下の女の子に奢られているんだ。そんなもんかも知れない。いいさ、かわいい女の子と出会ったんだ。確かに今日は悪い日じゃなくなった

2本の缶を持って友紀が戻ってきた。二人は待合室のベンチに並んで座った。
「はい。飲んでください」
「ありがと。いただきます」
2人は顔を見合わせて少し笑って乾杯した。
「今のは何に乾杯?」
「なんだろうねえ。ラッキーな一日にかな?」
「5000円負けたのに?」
「それだって、全部が悪いことじゃないよ。言ったろ」
「わかんない」
「かもね」
「はい、これ。切符代です」
「ありがとうございます」
「いえいえ。どういたしましてです」
すこしの間、沈黙が流れた。信之が立ち上がる
「さ、じゃあ、俺、行くわ」
友紀も慌てて立ち上がる。
「は、はい。あの、ありがとうございました」
「何いってんの。今、俺がお礼言ったところじゃん」
「あの、ですね、・・・好きです。明日も会ってもらえませんか・・・」
友紀は真っ赤になってうつむいた。
「そうね。お金返さなきゃ。明日も7時になったらここにいるよ。パチンコ勝ってたらなにか奢ってあげる」
「・・・失礼します」

私は走り出していた。心臓はがんがんと飛び跳ねている。顔が熱い。
『なんであんなこと言っちゃったんだろ』
わからなかった。
『好きです』
言葉にしてみると余計違和感が深まった。そんなことを伝えたかったんじゃない。でも他に言葉が見つからなかった。つまんない漫画みたいだ。ダサい。
『どうしよう・・・』
明日、あの場所へ、必ず行くことだけはなぜか決まっていた。

僕は呆然としていた。その場で適当なことを言ったが、なにかとてもふさわしくないことを言ったような気がする。
『好きです。明日も会ってもらえませんか』
ちょっと待ってくれよ、と思うが、何故か突然という気がしなかった。彼女にもわかっていたのかもしれない。何かが必然なのだ。つじつまは合ってないし、筋道もない。このせりふだけが浮いている。大体、たかが5分かそこら話しただけだ。それも世間話にもなってないような話。
『好きです』
わからない。どうしてそういう結論になってしまうのか。最近の若い者はわからんな、と思い苦笑する。しかし、心の何処かで認めてしまう。それもありかなと思うルートがある。ひとつ確かなことは彼女は明日もここへ来るし、僕もそうだということだ。


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