コーラ白書
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中本 晋輔

春と言えば、桜。満開に咲き誇るソメイヨシノや八重桜は、見る人の心を明るくしてくれる。関西在住で、造幣局の通り抜けを楽しみにしている向きも多いだろう。

この桜、実はコーラに縁の深い植物であることをご存じだろうか。

桜の一種である桜桃の実、チェリーの独特の風味はコーラとの相性が良いことで知られる。特に北米で根強い人気を持つフレーバーの一つだ。

今回はそんなチェリーコーラの歴史を取り上げてみよう。

 

 

始まりはファウンテン

コーラとチェリーとの出会いは、アメリカのソーダファウンテンと言われている。

ソーダファウンテンは炭酸水を供する機械の名称で、転じてソーダを提供する店を指すようになった。19世紀後半に炭酸水が商業化されたことでアメリカでソーダ文化が開花、様々な炭酸飲料が作られるようになった。コカ・コーラが発売当初ファウンテンで1杯5セントで販売されていたのは有名だ。

コーラ以外にも、色々な果汁やシロップを使ったソーダが考案された。様々な組み合わせが試される中で、コーラとチェリーの組み合わせが生まれたと考えられる。1900年頃のコカ・コーラの偽物(immiatation)リストの中に「Cherry-Kola」という名前があり、この組み合わせが既に知られていたことが伺える。

チェリーとコーラの相性の良さは、当のコカ・コーラも認識していたようだ。1932年に発行された販促本「WHEN YOU ENTERTAIN」には、コカ・コーラとチェリーを使ったデザートのレシピが掲載されている。

チェリーコーラ黎明期

しかしコカ・コーラはチェリーフレーバーコーラには容易に手を出さなかった。その理由として、同社は単一商品であることに強いこだわりを持っていた事が挙げられる。創立から70年間コカ・コーラだけで成長してきた同社にとって、コカ・コーラは神聖なる「金のなる木(Cash Cow)」。この派生品を作ることはタブーとされたのだ。

動けない巨人を横目に、ライバルたちはチェリーコーラの可能性を模索しはじめた。アメリカ西海岸をを拠点とするShasta Beverageは1960年代に缶入りのSHASTA CHERRY COLAを発売。また同じ頃に東海岸でMa's Cherry Colaが発売された。このコーラのキャッチコピーは「OLD FASHION Soda Fountain Treat」で、当時ファウンテンでチェリーコーラが親しまれていたことを伺わせる。

興味深いのは、コーラのもう一つの巨人であるペプシがチェリーコーラを準備していなかった点だ。ペプシは1970年代にレモンフレーバーのコーラの開発を行い、PEPSI LEMON やPEPSI LIGHT(初代)などの試験販売を行っていたが、チェリーはノーマークだったようだ。

”常軌を逸した”新製品

結局チェリーコーラの市場を切り開いたのは、最も躊躇していたコカ・コーラであった。同社は1982年のWorld's Fairでチェリーフレーバのコカ・コーラを試験販売したとされる。その他にも全米4か所で試験販売を重ね、既に発売されていたDiet Cokeに並ぶ人気であることを確認した。

そして1985年、コカ・コーラは長年のタブーを破り新製品「Cherry Coke」を正式に発売した。

コカ・コーラ社はCherry Cokeの発売に合わせ、「Outrageous!(常識を逸した)」と名付けた大々的なプロモーションを展開。販売店にはスポットディスプレイを提供し、特別価格で商品を提供した。また著名な評論家や新聞のCherry Cokeのポジティブな論評をまとめ、まるで映画のように販売店に導入を促した。

1985年に作成された販売店向けカタログ

奇しくもこの年はNew Cokeの発売年。コーラ市場を大混乱に陥れ失速する同僚を横目にCherry Cokeは売り上げを伸ばし、不動のレギュラーの座を掴んだ。

同時にアメリカ国外でもCherry Cokeが発売された。日本で同じ85年に日本版が発売されたが、チェリーフレーバーに馴染みのない日本市場ではあまり人気が出ず、短期間で姿を消してしまった。美味しいのに。

85年に発売された日本のCherry Coke (左:三笠 右:北海道)

この成功に慌てたのがライバルのコーラメーカーであった。Royal Crownは1985年にDiet RC Cherry を発売し、何とか「世界初のダイエットチェリーコーラ発売」を確保した(Diet Cherry Cokeの発売は86年)。またペプシは86年に派生ブランドSliceからCherry Colaを発売したが、その後の人気の高まりには抗えずPEPSI Wild Cherry を88年にリリースした。

過激化するチェリー

コカ・コーラの英断により大成功を収めたチェリーコークだが、90年代に入ると他のコーラに見られない傾向が現れる。先のOutrageousキャンペーンの影響だろうか、やや「常識を逸した」ような革新的なグラフィックデザインが多用されるようになったのだ。

これまで赤色系だったCherry Cokeのグラフィックに紫と黒が採用されたのを皮切りに、デザインがラディカル化。90年代後半に東南アジアで採用されたデザインがアメリカに逆輸入されると、これに対抗するようにPEPSI Wild Cherryのデザインを刷新。チェリーコーラワールドを展開した。

両社のデザインの変遷は、コーラ缶コレクションを参照

99年にはエナジーコーラの先駆けであるWet Planet(旧Jolt Cola)が参入。強カフェイン+チェリーフレーバーのJOLT Cherry Bomb colaが発売された。

また2000年後半になると、今度はバニラ系フレーバーとの複合がブームとなる。2006年にはコカ・コーラからCoca-Cola Black cherry Vanillaが、ペプシからはdiet PEPSI Jazz Black Cherry French Vanilla がリリースされ、さらに濃厚なフレーバーへと進化を遂げた。

その後両社の製品プラットホームの見直しなどで一時期ほどの広がりはなくなったが、現在でもアメリカではCoca-Cola Cherry ZeroやPEPSI NEXT cherry Vanillaなどの新製品が登場し、人気の高さを物語る。

新たな風

アメリカの固有種になりつつあるチェリーコーラ。しかし近年はアメリカ以外の地域でも新しいチェリーコーラが登場している。

一つ目はサッポロ飲料が期間限定で発売した「さくらんぼコーラ」。アメリカンチェリーではなく日本のさくらんぼをフレーバーに使った意欲作で、やさしい後味が特徴。限定商品なのが惜しいほどの完成度だった。

もう一つはイギリスのFentimans社が手掛けるCherryTree Colaだ。このガラスボトルに入ったプレミアムコーラは、発酵ジンジャーのフレーバーと相まった上品なチェリーコーラ。米国製の力強いチェリーフレーバーとは一線を画する複雑さと繊細さが特徴だ。

 


 

アメリカのファウンテンで生まれ、独自の発達を遂げたチェリーコーラ。これがアメリカの固有種となるのか、世界に新たな市場を広げるのか。これからも注目していきたい。

参考文献

  1. For God, Country and Coca-Cola (MARK PENDERGRAFT著)
  2. コカ・コーラの秘密 (田口 憲一著)
  3. What Were They Thinking? (Robert M. McMath著)
  4. WHEN YOU ENTERTAIN (IDA B. ALLEN著)
  5. Outrageous! (Coca-Cola 販促カタログ)
  6. Coca-Cola Cherry -Wikipedia, the free encyclopedia