コーラ白書
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コーラ津々浦々「さよなら津々浦々編」

中橋 一朗

5年にわたって続いたコーラ津々浦々も、ついに終了である。このような人気連載を打ち切りにすることは、決して本意ではない。けれども、中本も中橋も、取材のための時間を捻出することが難しくなってきたので、止むを得ず連載を終えることにした。

中本も中橋も旅が好きだから、「津々浦々」には特別な思い入れのようなものがある。だから、最終回にあたって、これまでの軌跡を振り返ってみたいと思う。

 

近畿コカ京都工場
近畿コカ京都工場。1997年当時、まだデジタルカメラは珍しかった。

記念すべき第1回では、近畿コカ・コーラボトリング社の京都工場を訪れた。路線バスを乗り間違えたせいで、晩秋の久御山団地を中本とジョギングする羽目になったが、帰り道に偶然見つけた駄菓子屋でVIVA COLAを発見することができたのは幸運だった。今は日産車体の工場も閉鎖され、ニッサン橋周辺も随分変わってしまっているのだろう。

続く第2回は、中橋と友人Kとで京都、入谷酒店にお邪魔した。その際の凄惨な事故に関しては、敢えて多くを語るまい(いっちゃん、本当に済みませんでした)。

コーヒー博物館
そもそもコーラと関係ないじゃん、と思いつつも楽しかったコーヒー博物館。

それから暫くは中本の単独取材や近場の取材が続いて、UCCコーヒー博物館が私にとっては久しぶりの本格的な取材となった。コーヒー博物館の展示もなかなか興味深いものだったが、何よりカフェで飲んだターキッシュコーヒーの味が忘れられない。ちなみに、この号(98年4月号)から「コーラ月報」改め「コーラ四季報」とし、月刊での発行を断念した(コーラ白書の歴史とは、このような挫折の歴史でもあるわけだ)。

時には精神的に辛い取材もある。「怒りのひらパー編」の取材では、不覚にも取り乱してしまった中橋だったが、持ち前の精神力でゴミ箱を破壊することは思いとどまることができた。翌年のVirgin Cola編に至っては、辛い目に遭って帰った上、不当な「リチャード・ブロンソン担当」扱いを受けるようになり、非常に不満である。

北米・アトランタ編(前編後編)では、中橋が初の海外旅行を経験。これがコーラ絡みでなかったらどんなにか楽しかったろう、などとは口が裂けても言えないが、とにかくまあ、本場のジャンクフードを堪能して帰った。新種コーラの大量捕獲にも成功し、総じて高い成果を得た取材だったと思う。


まあ、見ればわかるくらいヘタクソ。

昨年の2月には黄金の自販機を求めて金沢まで行った。生憎の雪模様であったが、それまでタイヤチェーンというものを着けたことがなかったので、かなりてこずった。というか、今だからちょっとだけ白状すると、やや生命の危険を感じた。

その秋にはCmode自販機の取材のため、WOCC Tokyoまで足を伸ばした。ちょっとはしゃいでいたに違いない野郎3人の姿を思い浮かべると、なんだか微笑ましい(でも迷惑)。Cmodeは全国展開が決まったらしいが、キャッシュレスでコーラが買えることは、新聞記事には書かれていなかった(宣伝しても無駄と気付いたのだろう)。ちなみに、文中登場するD脇の職業は塾講師である。

 

こうして改めて俯瞰してみると、「やっつけ仕事」ぶりを隠せないものも、いくつかはある。とはいえ、なかなか面白い企画もあったと思うし、全体的にはよくやったんじゃないかと、自画自賛しておきたい。

読者諸兄においては、これまでのご愛読に感謝したい。また、取材にご協力頂いた方々には、この場を借りて改めて御礼申し上げる。