コーラ白書
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コーラ津々浦々「サンフランシスコ 72時間タイムアタック」(2/3)

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2日目、8時間睡眠達成し7時50分に目を覚ます。サンフランシスコは今日も快晴である。旅行でこんなにゆっくり眠ったのは久しぶりかもしれない。

私はアメリカの料理が基本的に口に合うのだが、中でもお気に入りはジャンクな朝飯である。日本のモーニングと比較にならないボリュームとカロリーに無理やり胃を叩き起こされるあの感覚が堪えられないのだ。ホテルから1ブロックほどの所にあるLori's Barに赴く。

セットを頼んで卵の具合を伝えると、すぐになみなみとコーヒーを注がれた分厚いマグカップがドンと置かれる。若い頃はミルクと砂糖で調整した後コーヒーを無断で注がれるのに憤りを覚えていたが、吉行準之助氏の「アメリカのコーヒーは日本の番茶である」という言葉に触れてからはこういう飲み物と受け入れられるようになった。

小麦と芋と卵で腹が膨れたところで地図を眺めていると、SFMOMA(サンフランシスコ近代美術館)が案外近い事に気づいた。いままでコーラの事ばかりでまったく気に留めていなかったが、せっかくなので人の少ない午前中に行ってみることにした。

この美術館に来るのは2度目だが、ほとんどの展示物が入れ替わっていて新鮮な気分で見て回る事ができた。印象に残ったのがAnne HamiltonのIndigo Blue。膨大な青い服と、机に座った人までを作品とする型破りさが面白い。絵画では私のお気に入りホテルの設計者である建築家Aldo Rossoのスケッチを見つける事ができた。

しかし中でも一番印象的だったのがPicture of Modernity展の最後を飾るナオヤ・ハタケヤマ氏の作品。慣れ親しんだなんば球場と旧なんば住宅展示場の写真をSFMOMAで見るとは思ってもいなかったからだ。よく考えれば球場の中に家建ってるのって変だよな。

MOMAで英気を養った後は探求の旅に戻らねばならない。ダウンタウンを斜めに走るMarket St. を通ってフェリービルディングマーケットプレイスを目指す。このサンフランシスコの新名所は名の通りフェリー乗り場の建物内にできた新興の市場で、オーガニック系やワインなどの専門食料品店が軒を連ねる。

マーケットの中は昔とほとんど変わっておらず、過去に緑茶のコーラ「Cricket Cola」を見つけた食品店「VILLAGE MARKET」も健在。今回はCricket Colaに加え、Moxie Cherry Colaがあったので早速購入する。ストレートサイドのガラス瓶に紙ラベルのクラシカルなパッケージで、ラベルの指差すおっさんがリアルでちょっと怖い。

その他いくつか店を回ってみたものの、ここでの収穫はMoxie1本のみ。コカ・コーラやペプシの缶をばら売りしてくれる店も見当たらない。この時点で昔サンフランシスコに来たときに回ったルートはほぼカバーしてしまったので、ここからは新たなルートを開拓せねばならない。

◇ ◇ ◇

タイヌードル屋で地図を広げ、午後からのルートを考える。ホテルから北と東は回ったので、残るは西と南・・・。と、そのときJapan Townの文字が目に留まった。ここなら日本と同じように、缶をばら売りしてくれる店があるかもしれない。今いるところから3キロほどの距離だが、ホテルで一旦荷物を置けば歩けない距離ではない。

部屋に戻り鞄の中を空にしてから、ケーブルカーの駅を曲がってEddy St.を西へ進む。数ブロック歩いたところで、明らかに街の雰囲気が変わった事に気づいた。ユニオンスクエア周辺のような洗練された清潔な町並みに替わって、リカーショップやアダルトショップが散見されるようになる。街行く人もビジネスマンや観光客は姿を消し、上半身裸で奇声を発するおっさんなどが出現。難波から新今宮に歩いてきたような気分だ。

後で知ったのだがこのテンダーロインは治安が良くないことで知られる地域で、ガイドブックなどにもあまり近づかないようにと書かれている。しかしこういう場所は個人商店が多く商品が画一ではないため思わぬ掘り出し物に出会える事があることはバンクーバーでもニューヨークでも経験済み。期待と緊張が入り混じる、海外旅行の醍醐味である。

それにしても驚いたのが個人商店の数。全てのブロックの角をリカーショップやスーパーが占めているんじゃないかと思うほど多いのだ。よく見るとそれぞれに特色があって宝くじを扱う店や本を取り揃えた店、移民向けの海外食材をそろえた食品店など微妙に差別化を図っている。共通しているのは店内がやたら暗くて、商品が雑然と置かれていることだ。

店の軒にはコカ・コーラなどの古い看板やステッカーが見られるが、一眼レフを取り出せる雰囲気ではない。ただ黙々と店を回ることにする。

数軒梯子して分かったのは、スーパーやコンビニにはない独特の「怪しげな飲料」市場はコーラからエナジードリンクに移行しているという事だった。有象無象がひしめき合う薄暗い店内には新しいコーラは見当たらない。All Star、Jonesなどがコーラから撤退しており、またオーガニック飲料系だったSobe、Arizonaなどが軒並みエナジードリンク化していた。

素晴らしきフライング

その店にもあまり期待を持たず、若いラテン系店員の視線をカウンター越しに感じつつ飲料の棚をルーチンワーク的に眺めていた。そのとき視界の端に見慣れぬペプシの姿を認めた。ペプシよりさらに深いブルーのパッケージ、シャープなグラフィック。

捜し求めていたdiet PEPSI MAXに間違いなかった。

しかしサンフランシスコ中探して何故この店にしか置いていないのか。ペプシコがこのコーラの発売を既に大々的に宣伝している以上、キャンペーン不足で扱う店が少ないとは考えにくい。第一それならPEPSI Summer Mixのほうが目立っているのは不自然である。となると考えられるのは手違いによるフライングだ(註2)。嗚呼、ありがとう神様。

冷蔵庫のガラス扉を開けてdiet PEPSI MAXを取り出すと、はやる心を抑えてレジに持っていった。すると若い店員の横から店長らしき大きなオヤジがぬっと現れ、怪訝な顔でコーラをつまみあげた。

「なんだこりゃ?」

緊張が走る。間違いに気づいたか? やっぱり売れませんってのはやめてくれよ・・・。

「ペプシの新製品みたいですよ、多分」

動揺を悟られないよう、笑顔を作って答える。こんなところでも4年間の営業の経験が生きている。

オヤジはいろんな角度でボトルを眺めていたが、しばらくして

「毎週新しいのがでるんでな。到底覚えきれねぇよ」

と笑ってレジを売ってくれた。

こうして中本は「ねんがんのdiet PEPSI MAXをてにいれた」のだった。

しかし肝心のJapan Townは期待はずれだった。China Townのような同郷の集うにぎやかな場所をイメージしていたのだが、あったのは映画のセットのような作られた街。紀伊国屋や日本食の店は揃っているが、街に活気が感じられなかった。おそらく由緒のあるであろう町の象徴の五重塔も白骨化しているように私の目には映った。

1時間ほどいろいろと見て回ったものの、その印象は最後まで変わらることはなかった。1年前に中心的存在だった都ホテルが売却され町の求心力が弱まっているのか、それとも日本人街を作ろうという官的な思想が器のみを作ってしまったのか。どちらかを知るすべはないが、なんだか居心地が悪くて何も買わずにこの場所を離れた。

◆ ◆ ◆

少し日が傾いてきたのでShutter Stを東へと戻る。この通りもリカーショップや個人商店が多いが、Ellisほど治安は悪くない。途中の大きな開放的なリカーショップにはプレミアムソーダコーナーがあり、ボトル入りのソーダが壁一面にならんでいた。日本で一時期ブームになった「ご当地サイダーフェア」みたいなノリでなかなか楽しい。

壁一面のソーダ

その中で気になったのがDiet Cane Colaというコーラ。これはCane Colaのダイエットバージョンなのだが、そもそも名前の由来はCane(サトウキビ)を使っているからのはず。不審に思って甘味料を確認するとばっちりアスパルテームが使われていた。

最近はアスパルテームもサトウキビから取れるのだろうか?(註2)

本日のジュース
Cocaine

あまりに直球な名称で物議を醸したエナジードリンク。残念ながら名前と成分は一致していないが、目が覚めるようなカプサイシン。油断していた私は激しく咳き込んで一人ベッドで悶絶した。でもこういう味は結構好きかも。

Cocaine


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(註1)diet PEPSI MAXはその3日後の6月18日に正式リリースされた。

(註2)取れません。