コーラ白書
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今月の一冊 「悲食記」古川緑波

なかはし いちろう

悲食記 古川緑波は昭和を代表する喜劇役者・映画俳優である。明治36年、男爵家の六男として東京に生まれ、早稲田大学英文科に進んだインテリで、また自他共に認める食通でもあった。

 この「悲食記」なる随筆集は、その緑波が戦中から戦後にかけて経験した食事情について語ったものだ。砕けた文体でリズムよく書かれており、出版から40年以上が経過した今でも気軽に読むことができる。副題は「この書を食うことに情熱を持つ人々に捧げる」。

 本書に「清涼飲料」なるエッセイが収録されており、そこでコーラが話題にされていることを教えてくださったのは、読者のM.S.氏である(詳しくは四季報2002年1月号参照)。

 緑波によると、「コカコラ」が渡来したのは中学生になった頃、つまり大正6年(1917年)頃。色が薄く、味に癖があって、ひどく薬臭いものだったが、今の(といっても、昭和33年当時の)コカ・コーラよりも旨かったという。

 味の違いについて、氏は、昔の「コカコラ」にはコカインが含まれていた為ではないか、としている。しかし、公式には1903年8月以降、コカ・コーラにはコカインが含まれていない。少年と大人の味覚の違いから来たものか、あるいは他に原因があったのか、今となっては想像するより他にない。

 以下、本書の内用を簡単に紹介しよう。

 冒頭は「悲食記(昭和十九年の日記抄)」。戦況の悪化と共に食料も不足している。しかし緑波は、ヤミの洋食屋に裏口から入って、「薄いビフテキ、カツレツ。表を締め切って、ビクビクもので食」ったり、映画のロケ地では「昼酒飲んで白米食つて馬車に揺られて帰」ったり、とにかく全力を尽くして食う。

 残りの部分は、先程の「清涼飲料」をはじめとする戦後のグルメ批評と、冒頭とは対照的な「食日記抄(昭和三十三年の日記抄)」からなる。特に当時の洋食事情がよく記述されており、興味深い。また、「螢光灯の下に美味なし」などは、現代にも通じるオヤジっぷりが冴える。

 残念ながらすでに絶版であるが、古本屋で見かけたなら、ぜひ手に取ってみて欲しい。