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特集 / 味なコーラ看板十撰
中本 晋輔

Times Square

廉価でかつ効果的な手法として古くから用いられてきた宣伝手法「看板」。特にコーラ業界では彼らの黒く泡立つ得体の知れない液体をアピールするため数多くの看板が作られてきた。インパクトを保つためデザインやキャンペーンが変わるたびに刷新するのが看板広告の基本だが、中には昔のものがそのまま使用され続けることもあり、その場合看板は製造当時の情報を伝える貴重な資料となる。今回は街で見つけた趣深い看板を一挙に紹介する。

1. New York, Times Square "Coca-Cola" 立体看板

多分世界で一番有名なコーラの看板といえば、ニューヨークのタイムズ・スクエアにあるコカ・コーラの立体看板だろう。この写真はスクエアを臨むホテル"Marriott Marquis"のレストランから撮影したものだが、下のタクシーに比べていかに巨大かがわかっていただけるだろう。この知名度も広告料も世界トップクラスの場所に何年も看板を掲載しているあたりにコカ・コーラ社の底力が伺える。もっとも、同社の国内最大のライバルであるサントリー(=PEPSI)がその上にいたりもするのだが・・・・。


2. Atlanta, Underground "Coca-Cola" 看板

Atlanta Underground

コカ・コーラ生誕の地、アトランタの地下ショッピングモール「Underground」に残る看板。現在とロゴマークがほとんど同じなので違和感はあまり無いが、実は1923年に作られた看板である。地元の小売店"CARLOS SODA CO."が作ったもので、現役の看板としては最も古い部類に属する。高さ約2m、幅4mとかなり大きなもので、70年の時を経た今でもインパクトは十分。地下にあったためか保存状態も良好。現在では看板の説明板やライトアップなどが施され、すっかり文化財扱いだった。


3. 北海道 小樽・チャーミーグリーンの坂 "コカ・コーラ" 2連看板

小樽

ところ変わって日本は北海道。ツアーで小樽に行くとガイド嬢が必ず「ここでチャーミーグリーンのCMの撮影を〜」と説明する坂道で見つけた看板。60-70年代にはこの手の正方形の金属看板が数多く作られたが、このように紅白2つの対になっているものは珍しい。白地に赤のカタカナで「コカ・コーラ」のデザインもレトロで心地いい。それに加えて看板全体がツタに覆われていて、小樽独特の異国情緒あふれる雰囲気に溶け込んでいる。個人的にかなり気に入っている物件だけに、3年もすれば完全にツタに隠れてしまうのではと心配になってしまう。

4. 沖縄 "コーラはペプシ" ベンチ

ベンチ

那覇の郊外、沖縄チェリオの近くにある駄菓子屋にあったペプシのベンチがこれ。背に赤で「コーラはペプシ」と書かれた古い木製のベンチは街の風景に馴染みながらもその存在をしっかりとアピールしていた。直線だけの角張ったフォントが、洗練されたロゴを見慣れた目には新鮮に映る。詳しくはコーラ四季報99年4月号「沖縄・国道58号線バス旅行編」を参照。


5. 沖縄 "PEPSI" 壁絵

壁絵

沖縄の田舎を走っていると、石造りの店の壁に無造作にコーラのロゴが描かれているのをよく見かける。それらの中にはかなりの年代物も多く、中判読困難なほどに朽ちたものも少なくない。この恩納村役場の横にあったPEPSIのロゴもその一つ。このロゴ自体は1990ごろまで使われていた比較的新しいものであるが、かつてこの地を訪れた台風の仕業かかなりいい味を醸し出している。 それにしても沖縄には驚くほどPEPSIの看板が多い。商店やレストランにはわかるとしても、コーラと何の関係のないところにもロゴが入っていたりするのだ。珠算教室でもペプシが出るのか?


6. 大阪 本町 "Coca-Cola" 酒屋ロゴ

酒屋ロゴ

キタやミナミなど盛り場にある看板はどんどん更新されていくのだが、ちょっと中心から外れると昔の看板がそのまま残っていたりする。これは丼池筋の近くにある酒屋の軒に印刷されたCoca-Colaのロゴ。どうやら手書きらしくバランスがどこか変(二番目の"o"が"C"の中に入り込んでいないのが敗因か)。狙ったわけではないだろうが、なんとなく1900年代初頭に使用されたものを彷彿とさせるデザインである。この酒屋にはこの他にも日本盛の化粧看板(いつのだ?)などもあり、かなり男前だった。


7. 大阪 東梅田 "Coca-Cola" 喫茶店看板

喫茶店看板

こちらも梅田の外れにあるナイスな物件。昔は賑わっていたであろう喫茶店の壁に直接描かれたコカ・コーラの看板は、雨風によって年月を深く刻み込まれている。オールドファンには懐かしい独特のフォントの「コカ・コーラ」の日本語表記は90年頃まで使用されていたもの。店の軒下に掛けられた錆びた金属看板も高ポイントだ。この建物の背景には梅田の高層ビル群が並び、なんだか劇場版パトレーバー(1)の東京旧市街ような雰囲気であった。


8. 広島 厳島 "PEPSI" 売店の看板

厳島

日本三景に数えられ、世界文化遺産にその名を連ねる厳島神社。その厳かな神社の周辺は、古くから日本の典型的な「観光地のみやげ物町」として栄えてきた。こんな町にはコーラの味な看板がよく似合う。これは宮島水族館の前にある廃屋(多分)に掛かるペプシコーラの古看板。

鮮やかに塗り分けられていた王冠はすっかり褪色し、独特の雰囲気を醸し出している。この王冠デザインのロゴマークは1962-1972年に使用されたもので、今でも各地で結構生き残っていたりする(例)。また看板の側面にはペプシの瓶がデザインされた小さな看板があり、こちらもかなりいい感じ。まさに潮風の生んだ傑作である。


9. 兵庫県 淡路島 "Coca-Cola"看板

淡路島

昔から思っていたのだが、赤のペンキは他の色に比べて耐久性が劣るのではないだろうか。だからちょっと古くなると赤で強調したところだけが消えて「  ! この先   あり!」みたいな謎の看板になってしまうのだ。この看板はジャパンフローラの会場から1kmほど南下した道路沿いの民家に貼られているもの。 現在ではコカ・コーラのロゴは赤地に白が主流だが、白地に赤のロゴ看板が作られていた時期があった。おそらくこれもその一つで、赤の剥げた部分が海風により錆びついてしまったもであろう。確かにCoca-Colaなんだけど、爽やかというより何だかホラーな雰囲気だ。これは夢に出るぞ、絶対。

10.奈良 "PEPSI-MAN" 等身大看板

淡路島

96年に突如登場したコーラ界のスーパースター「PEPSI-MAN」。その強烈なインパクトはこれまでCoca-Cola一色だった業界に新風を吹きこんだ。当時PEPSIの販売者であったペプシコ・インク・ジャパンはCMに広告にとこの新キャラクターを存分に使い、その知名度は急上昇した。そんななかで主に酒屋や量販店の店頭看板として作られたのがこの"PEPSI-MAN" 等身大看板である。

単にボール紙にペプシマンの全身を印刷したものだが、高さが160cmもあるため存在感は抜群。うしろにはコの字型のダンボールが付いていて、自立するようになっている。もちろん写真は懐かしい初代ペプシマンである(現在は青色になった)。この看板はその昔ペプシのオフィシャルホームページでのオークションに登場したほど一部のファンの間で人気のあるアイテム。でもかさばるので収納には不便だぞ。


番外編 Atlanta The World of Coca-Cola "記念写真用看板"

記念写真

コカ・コーラ社のオフィシャル・ミュージアム「The World of Coca-Cola」の最後のコーナー"The Tastes of the World"にある記念撮影用の看板。みればわかるように、作りはかなりいい加減。何故か上に中国語のロゴが掛かっているあたりにもこの物件が冷遇されている様子がわかる。このコーナーでは30分くらい粘ったんだけど、その間撮影したのは我々のみだったぞ。たしかに写真を取るなら1Fのポーラーベアと取ったほうがいいと思うが。

余談だがこの博物館で係の人に写真を頼むと「Cheese」 の代わりに「Coca-Cola」と言わされてしまう。果たしてそれでちゃんと笑顔になるのか?

世界的に見ても、現在あるコーラの看板のほとんどがCoca-ColaかPEPSIのものである。それはこの二人の巨人の戦いがいかに熾烈なものであるかを物語るものである。街を彩るネオンの看板達がその最前線であるならば、古看板は昔の戦いの記録と言えるだろう。そういう目で見てやれば、町の外れの忘れられた看板たちは雄弁にその物語を語ってくれることだろう。

おまけ

現在「イカす自販機特集(仮)」のネタ集めを行っています。身近に変なコーラの自販機がある方、ご一報下さい。写真を送ってくれると嬉しいな。


[四季報 2000年4月号] [コーラ白書] [HELP] - [English Top]
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