コーラ白書
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中本晋輔

コーラ戦線異常あり!

ここにきてコーラ市場が新製品ラッシュに沸いている。この1年でPEPSIが「PEPSI Twist」と「Diet PEPSI Twist」を、またCoca-Colaが「Vanilla Coca-Cola」と「Diet PEPSI with lemon」を相次いで発売、飲料棚を賑わせている。そしてこれら新製品に共通するのが、それぞれのフラッグシップに香り付けをしたコーラ、つまりフレイバーコーラであるという点だ。

しかしコーラに香りをつける発想は決して新しいものではなく、でこれまで数多くの試みがなされてきた。今回はそんなフレイバーコーラの歴史についてレビューしてみる。

フレイバーコーラの起こり

フレイバーコーラを世に知らしめたのが1985年に発売された「CHEERY COKE」であることは万人の認めるところだろうが、これ以前にも様々な飲料メーカーが香りつきコーラの研究を行っている。例えば1900年頃のコカ・コーラの記録にある「偽者コーラ」リストの中にはLime Colaという名を見つけることができる。

この種のコーラの開発に積極的に取り組んだのは、小回りの利く小規模な飲料メーカーであった。例えばShasta Colaはフラットトップ缶の時代から”Shasta Cherry Cola”などのフレイバーコーラを市場に送り出している。

これに対してコカ・コーラやペプシの大手コーラメーカーは、味のバリエーションよりもマーケティングに注力する。特にコカ・コーラにはコークを唯一絶対の「聖なるもの」と考える風潮が蔓延し、これにフレイバーをつけることはタブーと考えられた。このため1980年代に同社が方向転換を迫られるまで、フレイバーコーラは市場には根付かなかった。[→ペプシ・チャレンジとニューコーク]

巨人の決断とペプシの挑戦

コカ・コーラの態度を変えさせたのは、戦後急成長を遂げたペプシの存在だった。彼らはライバルとの差別化を図るためありとあらゆる手段を講じ、その中にはレイバーコーラの研究も含まれた。70年代の終わりからペプシはいくつかのフレイバーコーラを開発し、地域限定テストという形で発売している。

例えば左はカナダで販売されたチェリー味のPEPSI Cerisesである。このほかPEPSI Twistの原型ともいえるレモン風味のコーラも開発している。しかし当時のPEPSIにとってこの試みはあくまで実験に過ぎず、本気でフレイバーコーラを完成させようという意気込みはなかったようだ。

この流れを大きく変えたのが、1985年にコカ・コーラが投入した「cherry Coke」である。マーケットリーダーがフレイバーコーラを発売、大成功を収めたことで、各社が追従の動きを見せ始める。この2年後にはPEPSIがチェリーフレイバーのペプシ「Wild Cherry PEPSI」を、またその後Royal Crown Companyも「Cherry RC」を投入し、フレイバーコーラ市場を賑わせた。(遅ればせながら1998年にはJolt Colaもチェリー味の「Jolt Cherry Bomb」を発売している)

また同時にペプシは本格的なフレイバーコーラの研究を開始する。90年代に入るとラズベリーストロベリートロピカル(謎)の新型フレイバーコーラを立て続けに開発、アメリカの一部都市で試験販売を行った。結局全国発売には至らなかったが、そのユニークなアイデアで話題を呼んだ。

この動きは海外のペプシサイトにも伝わり、各地でユニークなコーラが誕生する。オーストラリアではチェリー・ラズベリー・ストロベリーのフレイバーコーラを試験発売しているし(下参照)、イギリスでも同様のコンセプトのものがリリースされた。日本でも96年のPEPSI Raspberry ColaPEPSI Tropical Colaが発売されたことは記憶に新しい。

90年代にオーストラリアで発売されたフレイバーペプシ3部作。左からChill(チェリー)、Rage(ストロベリー)、Slam(ストロベリー)

 

酸味系の国産コーラ

アメリカで高い支持を得たチェリーコークだったが、独特のクセのある甘い香りは日本人には受け入れられなかった。気の利いた喫茶店のコーラにレモンが浮いているように、さっぱりとした酸味が日本人の嗜好に合っていたのだ。そのため国内では必然的に酸味系のフレイバーコーラが数多く作られた。

1991年サントリーは当時ブームだったアセロラのフレイバーを加えたコーラ「Acerola Cola」と「Acerola Cola light」を発売。アセロラとコーラの組み合わせは世界的にも例がなく、サントリーのオリジナリティが光った。

またいわゆる「レモンコーラ」についても果汁入りのダイドー「Black Lemon」やヤマザキ「FIRE DUNK」、無果汁のベルミーの「Sparkling Cola」等、様々なものが発売された。

また92年には宝酒造から、いまや伝説となった怪作「バナナコーラ」が発売されている。これは日本では珍しい、どちらかと言えば甘味系のコーラであった。

このように90年代前半は意欲的なフレイバーコーラが開発されたが、残念ながら市場に根付くまでには至らなかった。

ジョーンズの奇跡

90年代後半、アメリカの飲料界で「ニューエイジ」と呼ばれるコーラが台頭する。これはハーブなど今まで使われなかった材料を使ったオリジナリティの高いコーラで、小さな飲料メーカーを中心に様々な新種のコーラが発売された。いままでコークとペプシの模倣に終始していたアメリカのコーラ市場ににわかに新製品ラッシュが訪れたのだ。

そんな中で名をあげたのがカナダのUrban Juice & Soda Companyだった。彼らは青やピンクのド派手なソーダシリーズ”Jones Soda”を次々に発売、西海岸を中心に一躍有名になった。そんな彼らのヒット作の一つが、バニラ風味のコーラ「Jones Vanilla Cola」であった。ややくどいまでのバニラの香りが人気を呼び、現在でも同社の主力商品の一つに数えられる。

このJonesシリーズが作ったトレンドはその後Vanilla CokeやPEPSI Blueへと受け継がれ、アメリカのコーラ史に大きな影響を及ぼした。

 

 

フレイバーコーラ戦争へ

コーラに多様性と変化が求められる中で、巨人たちも新たなコーラの必要性に気づき始めた。先に動いたのはペプシだった。2000年、ペプシはレモン味のPEPSI「PEPSI Twist」を発表、テキサス・ミネソタでの大規模なテスト販売を行った。

大きな反響を得たPEPSI Twistは正式にペプシのラインナップに加わり、翌年全米での発売を開始した。この動きは瞬く間に世界に広がり、欧州・アジア・南米でも発売が開始された。日本でも昨年夏に期間限定版が、また今年の春よりサントリーとペプシが共同開発した新生ペプシツイストが発売されたのはご存知の通りである。

これに対してコカ・コーラは2003年5月よりバニラ味のフラッグシップ「Vanilla Coke」を投入、巻き返しを図った。このコーラも発売当初から大ヒットとなり、米国のコーラ市場はにわかにフレイバーコーラ戦争の様相を呈した。この対決の構図は世界中に飛び火し、日本も含め世界中で新しいライバル対決が展開されている。

しかし、これだけでは終わらない。Vanilla Coke の発売日に、ペプシ陣営は新たなフレイバーコーラ「PEPSI Blue」の発売を公表したのだ。このPEPSI Blue は市場調査に基づいて開発された(らしい)ベリー味のコーラで、名の通り真っ青な色が特徴。現在の市場の流れを敏感に捉えたインパクトの高いコーラだが、安っぽいコンセプト(と味)が災いしてか現在のところそれほど売れていないのが実情のようだ。

 

 

コカ・コーラとペプシの参戦により、フレイバーコーラはかつてないほどに注目を集めるようになった。今後この市場がどのように変化していくのか非常に楽しみである。